平和の世紀をと願って明けた2001年、とんでもない事件が起きてしまいました。
こうした事態の到来を恐れ、少しでも多くの方々と共に、平和を守るために解決すべき問題への理解を深めたいという願いもこめて製作したはずのドキュメンタリー「梅香里<メヒャンニ>」の公開が、偶然とはいえこういう時期に重なったことに緊張を覚えます。
これから世界になにが起こるのか‥‥‥米の武力報復と日本の軍事支援に関しては、これからも多くの議論がなされることでしょう。しかしどんな事情であれ武力行使に正義はありません。平和を守るために私たちに今できることを、共に冷静に考えたいと思います。まずはあらゆる意見にきちんと耳を傾けることでしょう。そして、意見の対立をもとに争うのではなく、反対・対立を越えて、対話・共存・思いやり・相互理解の実現を目指せたらと思います。
下記の文章は、2001.9.11ニューヨークで起こった同時多発テロ事件直後、いてもたってもいられずに走り書いたものです。
アメリカ同時多発テロに関する私心
2001.9.13 貞末麻哉子
9月11日にアメリカ国内数カ所で同時多発的に起こったテロ事件は、全世界に大きな衝撃を与えています。私たちはいま遠い日本で、亡くなった方々のご冥福を祈ると共にまだ瓦礫の下にある傷ついた人々の一日も早い救出を祈ってやまない日々を過ごしています。
このように民間人を巻き込む残虐な無差別殺人行為は、いかなる状況下・いかなる思想の下で行われたとしても決して許されることではありません。一日も早い真実の究明をもとに、そのテロ行為の首謀者と組織・またそれにかかわる国家は、法のもとで裁かれることを望むものです。
しかし、ほどなくアメリカは「武力報復」を宣言しました。
多くのメディアは、さかんにアラブ・イスラム批判を繰り返し、ブッシュ大統領による“武力報復”を支持する世論を世界中に煽っています。時間を増すごとに、全世界が一丸となってアメリカを軍事支援することが正しい選択であるかのように報道され、着々と確実に現実的な武力行使の準備が進んでいます。
そして、小泉首相も「この報復を支持する」と表明しました。
テロ許すまじは確かな原則だとして、いかなる事情をもってしても武力行使に正義はありません。
私たちは、アメリカのこのテロに対する裁きが武力でなされることが、テロと同等のレベルで許されてはならないものであることをしっかりと再認識しなければなりません。
日本の臨時国会では、軍事支援のために自衛隊法改正もほのめかされています。我が国の右派勢力はガイドラインを正当化するチャンス到来とばかりに集団的自衛権の行使・改憲への道・戦争への道をひた走る踏み台に、この事件を利用するでしょう。
「過ちはぜったいに繰り返しませぬから‥‥‥」と広島原爆慰霊碑に刻まれた誓いの重さ、憲法九条の誇りを全世界に訴えることができる国民として、私たちは、いかなる事情があっても、武器を手にして暴力で報復する道を支持することだけは回避することを呼びかけていきたいと思います。血で血を洗う方法では新たな悲劇を生むだけで、なんの問題解決にもならないからです。
レベルDの緊張状態にある米軍基地が、私たちの現実の生活を隣り合わせで取り巻いている現実‥‥これは対岸の火事ではありません。
安全保障が、民衆ための安全保障ではなかったことが、これほどまでにはっきりとわかったこのテロ事件が、いったいなぜ起こったのか‥‥‥日本人である私たちが、かつて歴史のなかでアジア諸国に行ってきた残虐な愚行を振り返らなければならないのと同じように、アメリカももういちど、このテロより非道極まりない軍事行動を、中東やアジアはじめ世界諸国に対してとってきた(そして現在もとっている)歴史と事実を、きちんと振り返る必要があるのではないでしょうか。
この48時間、いま、わたしたちがメディアを通じて目にしている恐るべき映像は、いったいなにを訴えているのでしょう。このビルの瓦礫のなかの犠牲者はいったい何の犠牲になったのでしょう。私たちは安全保障に守られてはいなかった現実を‥‥‥また、国家のための安全保障と、現代文明の安全神話が音をたてて崩壊する場面を 私たちはここ数日、繰り返しメディアで目にしているのですから。
この犠牲になった方々の尊い生命を、さらなる犠牲を生む悲惨な殺戮のきっかけにしてはなりません。ささやかな方法かも知れませんが、こうした思いをもつ人々と共に声をあげていきたいと思います。