撮影日誌 vol.1  - 1日目 -




■2006年10月20日

 とりあえず初日は、でら〜とのお母さんたちとの大切な初対面の日でもあるので、子ども二人を製作担当者(♂のほう)に預けて、前作でも構成・編集(監督)を担当したスタッフ・洪が同行した。なにしろ初対面が苦手な私のいくらか緊張が和らぐので助かることこの上ない。

 保護者会でご紹介をいただき、勢揃いされていたお母さんたちにご挨拶をする。先日の上映会の時にいらした方もいらっしゃるが、半数以上が初対面。
 みなさん快く撮影を承諾してくださっており、小澤映子さんや小林不二也施設長のおかげで積極的な精神的協力体制がすでにできていることがわかる。これは切実にありがたい。こちらから理解のない場所に撮影のお願いにあがるほど骨の折れる仕事はないからだ。当然みなさんにはご迷惑のかけ通しになる。しかも、みなさんに平等に写っていただく機会があることもお約束はできないのに。
 障害を持ったお子さんの受け入れの深さと、みなさんの開かれた気持ちの大きさを実感してあらためて感謝を感じた。

 その日のお昼は、でら〜とを利用する二人のお子さんを持つお母さん(小澤由美さん)が、自然の素材を大事にしたレストランを富士宮の市内で開業されており、そこで8名ほどの皆さんとおいしい松花堂弁当をいただく。重心のお子さんを二人も抱えながらの起業。どれほどのご苦労があったろう。
 ふと気づくと、祖母の出棺の時間。その祖母の故郷である富士宮の市内に自分が居ることを、不思議に思いなどした。

 その往復は小澤映子さんの車に乗せていただき、陣痛促進剤による出産時の事故で、娘さんが障害をもたれることになった経緯や、17年に及ぶ病院との裁判の顛末をうかがった。この一件は、医療裁判や司法のあり方の問題にも抵触する大変重要なお話しなので、あらためて、ゆっくり取材させていただきたいと思う。
 その日の午後はいったんでら〜とに戻り、床暖房を施したホール全体に配置された電飾の煌びやかな光の饗宴の中で過ごす利用者さんたちの姿と、帰りの様子を撮影させていただいて終わる。

 養護学校を卒業したあとの行き場が少なくなる重度心身障害児(者)の生活は、施設入所か在宅かに分かれる。
 通所施設は、在宅で暮らしている人たちが日中生活のために利用するデイケア施設だ。
 当然、送り迎えはもちろんのこと、日常生活の介護には家族の手が大きく関わることになるし、地域社会に参加したり、青春を謳歌したりする機会は入所施設での生活に比べると、はるかに豊かで楽しいものになる。
 介護ばかりでなく、深く医療との連携も必須になってくる重度重複障害を持った利用者さんたちが、いかに安心して笑顔に満ちた人生を過ごせるのか。この課題に親の会が取り組んで、自分たちで社会福祉法人を作り、理想の通所施設を目指して開所した、それが「でらーと」だ。民間委託で業者がやっている施設とは開所にあたっての想いの深さが違う。そういったものが映像に残っていくだろうか。




 夕方、でら〜との利用者の保護者のひとりでもある小澤映子さんに付き添っていただいて、渡邊雅嗣さんのご自宅にうかがう。

 前作ドキュメンタリービデオも、難病による四肢麻痺を抱えながら横浜市でひとり暮らしを続けた(故)細井道子さんの日常を追ったものだったのだが、ふと、彼女のご自宅に撮影に通った日々がよみがえってくる。季節はいくつも変わり、いろんな風が吹いたのを見た。いろんな人の出入りがあり、さまざまな事件があった。

 重ねて今度は、男性の生活に立ち入ることは、私に大きな緊張を強いる。
 しかし、ある程度やわらいだ気持ちで私がそこに立てたのも、道子さんの撮影を四年にわたって続けてきた経験に助けられているのかも知れない。
 あぁ、また何ヶ月か、あるいは何年も、ここに通うことになるのかと妙な気持ちになる。昨日までまったく知らなかった人との関係が、今日から始まろうとしているのだ。

 渡邊さんにもすでに小澤さんから話しをしてくださっており、撮影に関しては快く承諾してくださっていた。お部屋に上がりこんでご挨拶をすると、

 「自分が外出する姿やひとりで暮らしている姿も含めて、すべて写してください
 とおっしゃってくださった。
 すでに渡邊さんは覚悟を決めてくださっていることがはっきりとわかっていっそう緊張した。


 その日はでら〜とでDVテープを1本回しただけで、スタッフと帰路についた。



   

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