そういう反応は、渡邊さんには予測できていたのかもしれない。予測できるあまり、少しでも早く報告しておかねばまた別の誤解とトラブルを生むと、それを未然に防ごうと必死で電話をされていたのかもしれない。
次に渡邊さんは、でら〜との小林施設長に電話をかけ、川久保さんの事業所の責任者を怒らせてしまったことを報告する。自分が悪かったと関係調整を頼む。小林施設長にしてみると、すでに川久保さんの事業所はでら〜とに渡邊さんが相談していることも承知の事実と思っている。「話していなかったのか、それは渡邊さんもまずかったなぁ」と小林さんも困った様子だ。小林さんにしても事業所同士、こうした感情的なトラブルは避けたいところに違いない。
我々でさえ、未然に防げない感情のトラブルがある。あっちに根回ししておいて、こっちと調整していた筈なのに行き違うことはよくあることだ。ところが、そのちょっとした根回しすら、渡邊さんにとってどれほど困難かがわかる。スムーズにできるわけがない。実際には渡邊さんの配慮が足りないのではないのだ。
小林さんとのやりとりのあと、渡邊さんは自宅に帰られた小澤さんにも電話をかけ、一連の経緯を相談。小澤さんは、いたたまれない渡邊さんの気持ちを瞬時に理解して調整につとめてくれることになる。
そうこうしているうちに夕食ができる。今日のメニューはクリームシチューとシュウマイ。
Yさんは、明るい声でいろんな話をしながら、とても楽しい食事介助の時間だった。どれほど、電話での一件で傷ついた渡邊さんの気持ちがとけて癒されたことだろうと思う。
そんな一部始終が撮り終わって、食後の歯磨きも終わるともう7時。Yんの時間が終わると、次のヘルパーさんがみえるのは8時半。
朝からの外出と、ハードな展開に気疲れを重ねた渡邊さんは相当疲れていたと思う。私もYさんと一緒においとまする予定でいたのだが、Yさんが帰ると同時に、渡邊さんの妹さんから、今、もうすでにお母さん宅の荷造りを初めている、という電話が入る。
「話をしたいからこっちに来てよ」
「荷造りでもうくたくただからそっちには行かない」という妹さん。
結局、「もう少し調整するから引っ越しは待って欲しい」という雅嗣さんの声は、妹さんの声にかき消されるように電話はガチャリと切れる。
部屋にやけにしんと重い空気が流れる。
カメラは回ったままだ。
私は渡邊さんに声をかけたいと思ったが、どんな言葉もこの厳しい現実の前には嘘っぽくて、スルリとは出てこない。
渡邊さんが静かに口火を切ってくれた。
「いつも、どれくらいテープは回るの?」
優しい声の響きだった。気まずい空気を察してくれていると感じた。
「今日はもう4本回っていますよ。渡邊さんの苦悩がたくさん撮れましたから。」と私がようやっと言う。
ニコっと渡邊さんが笑ってくれる。私も同じように笑い返す。
この一連の事態の不条理さを、一緒に共有した者にしか交わせない合意の苦笑に思えたが、もしかしたら渡邊さんは私を試していたのかも知れない。コイツはちゃんと状況を理解し、把握できているのか、と。
「こういう風に行き違っていくのです。これが、一番ツラい」
それだけ言うのに、渡邊さんは約1分かかる。
「ツラいですよね」私は3秒。
次の言葉を待つ間がまた数分。
時間から時間でスケジュールを区切らざるを得ない派遣事業でこの関係の厳然たる溝を埋めるのが難しいのも明白だ。
しかし埋めたいと思う気持ちが大事だと思った。その気持ちがなければ、どんな関係も始まらない。
妹さんの考えもわかるけれど、そこでも気持ちはすれ違うんだ、と渡邊さんは言った。
「本当のことを言ったら、自分が選んだヘルパーさんに、自分でお願いすることができたら一番いい」
力強く渡邊さんが言った。
これが渡邊さんの本音なのだろうか。
始まったばかりの障害者自立支援法の問題の一部が見えてくる。
利用者にとって、薄く印象が抜けていってしまった「ボランティア」の存在。時間やお金には換算できない支援がとりこぼされていったのではないか。
辛くて苦しいことがあったとき、福祉関係者以外の人で誰か相談できる人はいるのか? と私がたずねると、
「教会の牧師さん」と渡邊さんは私の目を見て答えた。
道子さんもそうだったのだが、渡邊さんもクリスチャンだった。
次の週、私はでらーとの新しい施設建設の予定地見学のために来るから、そのとき教会の牧師さんを紹介してほしいと頼んで、その日は渡邊さんの部屋をあとにした。
この一日でDVの60分テープは5本も回ってしまった。
渡邊さんも疲労した一日だったろうが、わたしも疲れた。
帰りの足柄SAで2時間ほど寝てから帰宅したら25時を回った。