撮影日誌   - 3日目 -




 ■2006年11月22日


 今日は3時には家をでて夜明け前に愛鷹PAに着いて車中寝。途中起きて、富士山が綺麗だったら実景撮りだと意気込んで寝たが起きれず、結局、8時半までしっかり寝てしまった。こういう日に限って朝の富士山が一段と綺麗だったらしいのよね....zzz。


 で、9時半集合で、富士宮市に計画している二つ目のでら〜と建設予定地見学に出発。 すでに11ヶ所の候補地は4ヶ所に絞られており、総勢20名ほどの保護者の皆さんと富士宮市内を巡る。


 そのうち二ヶ所は富士山の絶景が眺望できる素晴らしい高台にあったが、地の利やあらゆる工事との兼ね合いなども考慮しながら、みなさんで優先順位が決められた。
 



 お昼過ぎに、渡邊さんの行かれている教会に小澤さんに案内していただく予定だったが、小澤さんの議会が延びたため、直接渡邊さん宅を訪ねた。
 牧師さんもいらしてくださり、わたしはご挨拶することが叶った。
 牧師さんは「晴れた日ばかりじゃないけれど」の上映会でもお目にかかっており初対面でなかったことがわかった。そのとき、
 「実は、富士にも自立に挑戦しておられる渡邊君がいますので、富士にも素晴らしい宝があるということを、ぜひ知っていただきたいと思いました」
 と話されていたことがとても私の印象に残っていた。
 なるほど牧師さんであられたかと思う。
 撮影の協力をあらためてお願いすると、快く承諾していただけた。
 渡邊さんが、牧師さんとの出会いをじっくり語ってくださったので、それを撮影。
 同時に、役所や事業所ともいろいろ話し合いが進んでいるお母さんの進退について語ってくれた。
 富士市としても、介護保険と障害者自立支援法を合わせて使うことになるケースは初めてになるとのことで、関係各所が混乱しているようだ。年内いっぱいは現状維持で、新年からどうするかが12月上旬に決まるそう。

 「一緒に暮らし始めたら、ケンカばかりの毎日になる」
 と渡邊さんは言う。
 「きっとボクは、言うことがきけないのなら出て行け、と母に言ってしまうと思う」 とも。

 「たとえば健康な私たちでさえ、親の老後については悩み、一緒に暮らすという覚悟は相当なものです。それを、渡邊さんがこういう状態でここで受け入れなければならないという事実がどういうことなのか。それを感じながら撮影してほしいと思います」と、牧師さんはカメラの回ってないところで、とても厳しい口調で私におっしゃった。
 あらためて教会での渡邊さんを撮影させてもらうことをお願いして、ヘルパー川久保さんと交代で牧師さんが帰られる。



 渡邊さんは今日は、近所に買い物に行かれる予定になっていた。
 私もそれに同行。
 歩けば5分ほどの近所のスーパーだが、激しい車の往来に路肩の埃が巻き上げられながら、少し段差のある歩道の幅はなんと車椅子の幅しかない。その段差に乗ったり降りたり、車椅子を押すヘルパーさんも腕っ節が強くなければ、外出支援はできないことがうかがえる。乗っている渡邊さんの首も段差のたびに揺れる。道路事情はあくまでも健常者中心にしか設計されていないことがよくわかる。
 店に入っていく車椅子の渡邊さんの背景に、暮れ方の地味な富士山が写っていたはずなのだが使えるだろうか。今日の渡邊さんは、卵とブルーベリージャムを購入。


 ここでスーパーのお店の方に許可をとれと撮影を咎められた。
 ドキュメンタリーの撮影では、あらかじめ行く場所がはっきりわからず、許可をとっておけない場合がどうしてもでてしまう。その時はお詫びし倒すしかない。スタッフが一緒ならば分業で許可をとりに走れるのだが、ひとりだと、どうしてもそれがかなわない場合がでてくる。これは何かとあとからも、撮影させてもらうこちら側の身勝手を責められる一件になる。これが一番つらい。


 買い物の内容はもちろん、夕食のメニューに至るまで生活の細部を決定するのは渡邊さんだ。ヘルパーさんは、冷蔵庫の内容を見ながらアドバイスはするが、基本は渡邊さんの指示に従う。買い物が終わって、5時から交代になった食事支援のヘルパーさんは少し年配の網野さん。もう成人されたお子さんのいらっしゃるというお母さんの貫禄がある。細かいところによく気づき、冷蔵庫に鮭が残っていることを渡邊さんに告げ、オムレツと鮭の塩焼きにキャベツのおみそ汁という献立に決定。

 よく、病院や施設に長期間入院入所していた障害当事者の自立が難しいと聞く。健常者でもいえることだが、自立の第一歩は、いかに普通の生活に積極的にかかわってきたかの経験値によって左右する。三度の食事が何も考えず出され、家事一切も母親まかせだった人の自立は難しいということなのだろう。

 今日も夕食を待つあいだ、二〜三件の電話に対応する渡邊さん。
 そして美味しそうな夕食ができあがる。
 介助のあいだじゅうも網野さんの明るい声で楽しい会話が続き、頭の中がお母さんとの同居のことでいっぱいだという渡邊さんには今、こうしたあたたかい時間がすごく大事だということをしみじみ感じる。私も少し、家庭的な雰囲気にひたってホっとしながら、少し窓灯りのこぼれる住宅の外景なども撮る。

 渡邊さんの自宅のあるその一角には同じ形をした平屋が8軒ほどあるのだが、まだたった二度目の撮影にもかかわらず、近隣にお住まいの方、何人かとご挨拶ができた。
 「ごくろうさま」と言っていただき、私の車を空いている家の前に駐車しなさいと案内してくださった。どの方もあたたかい笑顔だ。
 不思議なことに、前作の撮影のときは、四年にわたる撮影期間、近所の人と一度も挨拶を交わした覚えがない。どんな人が住んでいるのか、どんな人間が出入りしているのか、関心もなければ興味もないという遠巻きな印象しかご近所に持てなかった。それが、横浜という、ここより都会のあたりまえの有様なのか。ここの一角で、みなが渡邊さんに理解を寄せながら支えている地域社会の存在を感じて、今日の撮影は終了。

 渡邊さんは次に外出するのはいつで、病院に行くのはいつで、と熱心にスケジュールを伝えてくださった。お母さんが同居する前にこの生活を撮ってほしいとおっしゃっていた。どこかで二日間とって、一日目は夜、彼が就寝するまでを撮り、朝、早朝のヘルパーさんと共に部屋に入って起床の様子も撮影しようということになった。
 本当ならば、一週間でもはりついて、このお母さんの事も含めた渡邊さんの一進一退を撮影したいところなのだが。



 帰りの足柄SAでまたしても爆睡。
 とりあえず車中はエンジンを切っていても毛布にくるまれば全く寒くないんだが、これで案外安眠できちゃう自分の体質を思うと、どうにも「なんちゃってホームレス」の気分になってくる。前世のどこかで荒野のジプシーとかやってたような気もする。
 冬はもうそこまで来ていて、SAの遅い紅葉もやっと真っ盛りだ。
 帰宅したのは26時を回った。








   

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