制作スタッフ・撮影協力

製作・著作・配給
マザーバード
プロデューサー・撮影
貞末麻哉子
構 成 ・ 編 集
洪 福貴
制 作 補 
梨木かおり
ナレーション
長谷川初範
音 楽
木 kodama 霊
ポストプロダクション
CSW Cinema Sound Works
整音・MA
中山隆匡 ・ 成ヶ澤 玲
カラリスト
稲川実希 ・ 太田義則
制作協力
media EDIX
撮影協力
社会福祉法人インクルふじ
生活介護事業所でら〜と
生活介護事業所らぽ〜と
NPO法人くじら 陽だまりの家
静岡県立富士特別支援学校
富士市
富士宮市




<主な制作スタッフ3名(マザーバード)の紹介>

貞末・洪・梨木の3名は、3人でマザーバードを結成して10年になる.。

 代表の貞末麻哉子は1986年制作にプロデューサーとしてデビュー作となった劇映画「ゴンドラ」(伊藤智生監督)、1991年には「あーす」(金秀吉監督)のプロデュースを手がけたあと、「阿賀に生きる」で記録映画の上映運動に初参加し、1993年に「水からの速達」で初めてのドキュメンタリー作品のプロデューサーとして制作に参加した。その後、「おてんとうさまがほしい」「風流れるままに」「伝承」「梅香里」など、多くのドキュメンタリー作品の制作・上映プロデュースを手掛けたが、梨木かおり、洪 福貴とは「あーす」の制作現場以来、常に共に作品にかかわる間柄となった。
 2001年に、「朋の時間〜母たちの季節〜」(西山正啓監督作品)の製作委員会に3人で参加したのをきっかけにマザーバードを結成。 以来、3人で、主にドキュメンタリー映画の制作・販売・関連本の出版などを手がけて、今年で10年を迎える。
 マザーバードで制作した長編ドキュメンタリー作品としては、「晴れた日ばかりじゃないけれど」に続き、「普通に生きる」が第2作目となる。


マザーバード3人で自己紹介代わりに 【プロダクションノート】 を書いてみました

【プロダクションノート part.1】

      難産


 プロデューサー・撮影 : 貞末麻哉子
貞末麻哉子の作品一覧

 「障害者の実情をよく知らない議員たちに、障害者福祉政策の重要性を知ってもらうため、でら〜とに通う利用者の様子を撮ってもらえないか」と熱心なメールをいただいたのは2006年秋。メールの主はでら〜との設立代表者であり、富士市市議会議員を務める小沢映子さんだった。

 小沢映子さんとは、でら〜とで、マザーバードの前作「晴れた日ばかりじゃないけれど」の上映会をしてくださった際にお目にかかっており、何度かのメールの往復で、結局そのオファーを引き受けすることにした。小沢さんから富士市の福祉事情などを伺い、富士市からメッセージできることを一緒に作品にしようということがトントン拍子に決まっていったのだった。

 ちょうど富士宮市に第二の「でら〜と」を建設する計画が持ち上がっており、その動きを中心に撮影を始めた。同時に、富士市でひとり暮らしを7年も続けている脳性小児麻痺の男性・渡邊雅嗣さんも同時に撮影させていただくことになる。

 東京から静岡県富士市に通い、こつこつ撮影を続け、2年後、関連第一作目である短編ドキュメンタリー「ささやかな日常〜ひとり暮らしサイコーだぜ!〜が完成した翌年、主人公である渡邊雅嗣さんが心不全で急逝されてしまった。渡邊さんはそのDVDと共に各地の小学校を講演して廻りたいと希望されていたのだが、残念ながら叶わなかった。

 他にも数名「でら〜と」の利用者が亡くなった。
 重い障害を抱えて生きてゆくということの難しさに唇を噛んだ。
 「でら〜と」がとても大切にしている成人式には結局3度参加させてもらったのだが、この日はどうにも涙でぐしゃぐしゃになって撮影どころではなくなってしまうのだった。

 最終的に撮影を開始してから4年、この間に回した60分テープは160本を超えた。いくつもの問題提起ができるほどの出来事が収まっていた。どのエピソードも内容が濃く、160時間上映できるものなら全部見てもらいたい程だ。
 これを、マザーバードの洪 福貴が構成・編集し、制作補の梨木かおりも交えてスタッフ三人で激論激闘を交えながら再構築を繰り返し、追撮を重ね、テーマが徐々に「重症心身障害者の自立を支える社会の成熟」であることが見えてきた。まさにこの作業は肉を切らせて骨を断つ闘いであった。

 しかし、完成が近づいた時、小沢映子さんに3度目の市議会議員選挙が迫っていた。映画は小沢映子さんの政治活動のプロパガンダが目的ではなかったので、完成予定を2011年4月末に仕切り直したが、東日本大震災に遇ってさらに延び、2011年5月末、ようやく完成に至った。難産であった。

 重い障害をもった人たちの笑顔が、多くの被災者の方に寄り添い、この作品の上映が日本の心の復興支援に少しでもお役に立てるのではないかと、マザーバードのスタッフ三人は祈るような気持ちでいる。

       

こっそり プロダクションノート】

 最初の5日間でおわった 撮影日誌
.................. 続かないのだ日記 (/_・、)


(参考) 小沢映子さんのホームページ
   http://www4.tokai.or.jp/ozawa/ 




【プロダクションノート part.2】

  「普通」をめぐる冒険

                      構成・編集 : 洪 福貴

 静岡県富士市にある生活介護事業所「でら〜と」には毎朝重度の障害者が通ってくる。

 ある人は親の車で送ってもらい、「でら〜と」のバスや車で送迎してもらう人もいる。

 ここで、彼らは一人一人に合わせて練られたプログラムで一日を楽しく過ごす。

 彼らはここではじけるような笑顔を見せてくれる。彼らの多くは言葉を話さないが、全身で様々なことを語ってくれる。ここで活き活きと自分自身を「生きて」いる。映画では彼らのきらきらと生きている様子を多くの人に伝えようと思った。

 「でら〜と」が出来るまでは、富士市・富士宮市に住んでいる重度障害者も、養護学校(現・特別支援学校)を卒業した後は、自宅で親が24時間すべて面倒をみる「在宅」か、家庭の事情で在宅できなければ、家族と離れて施設に入って暮らす「入所」のどちらかを選択するのが「普通」であり「当然」だった。また「在宅」していても、いずれ親が年老いて面倒を見られなくなったり、あるいは親の身に何かあった場合は、障害者は入所施設にお世話になることが確実だったから、親たちはより細やかなケアを行ってくれる「良い入所施設」を探して、様々な施設を見学したり、勉強会などを活発に行っていた。そんな中で一人の親が気付いた。「どんなにいい施設だって山奥に建っていて、同じような人ばかり集まっていて、ノーマライゼイションっていうのにこれってアブノーマルなんじゃないか?」と。「当然」にとらわれていた心が疑問をもったのだった。これって「普通」なんだろうかと。それから親たちは自分たちが本当はどんな風に暮らしたいのかを考えた。

「地域にいてなんぼでしょ」、「どんなに重い障害を抱えていても、本人もその家族も地域で普通に生きたい!」。

 障害を抱えた子がいると、その家族は「普通」ではいられなくなってしまう。介護を家族のみで「当然」すべきだという世間の常識のもと、親子共々追い詰められてしまう。障害の子供を抱えて、どこにも助けを求められず、社会からスポイルされてしまう。杓子定規で硬直した考え方で日常生活が様々に線引きされるため、家族が活き活きと生きられない。母親が髪の毛を切りに行くこと一つでも、家族で代わりに見てくれる人がいなければ実行できないというバカらしさ。また、親が障害を持つ子のケアに明け暮れることになるため、障害を持つ子の兄弟は様々な意味で親の手を煩わせないようにと自分の社会生活を犠牲にすることも多いと聞いた。色々あきらめて寂しい思いをした兄弟も実は多いということも知った。こんな状況が「普通」であることは「当然」なのだろうか。

 地域で家族一人一人が「普通に生きる」ため、自分たちの必要としているサービスが無いと嘆いてばかりいないで、無ければ工夫して自分たちで作ればいい、自分たちの生き方をあきらめないで、親も子もその人らしく地域で活き活きと暮らしたい。

 暮らし続けるためのニーズを一番よく知っているのは自分たち親だ、だから自分たち親が「福祉の受け手から担い手になればいい」。この、コペルニクス的な「発想の大転換」が、家族の未来を開いたのだった。

 障害を持っている人は人間としての価値が健常者と呼ばれる人たちより低いと暗黙裏に思われているのではないだろうか。何も出来ないから価値がないとか、働けないから価値がないとか。だから、人間らしい生活ができなくても、隅に追いやられても仕方がないという納得のしかたで済ませていないだろうか。でも、そもそも人間の価値って人間が決められるのだろうか。構成を考えて行く中で、いつも自問していた。

 私自身の中に知らずに「当然」としてもっていた価値観が揺さぶられ、せめぎあう時間でもあった。より多く、より早く、より正確にできるほうが優れていると無意識に思っているし、価値が高いと思っている。自立というのは誰かの世話にならず、自分で働いて稼ぎ、自分のことを自分で完結させるということ。働くというのはお金を稼ぐことで、たくさん稼いでたくさん税金を払った人の方が人間としての価値が多いと。そして、働けないものや介護の必要なものはお金を稼がない、金食い虫だという価値観。介護が施しのように感じている価値観。

 だけど、人間という存在はそんなに狭いものだろうか。一人一人、誰にも支えられずに生きているものだろうか。

 「こういう(障害をもった)子がいると、暗い顔して、下向いて生きてないと普通じゃないって言うか・・・・・”明るくてすごいね”とかよく言われるんですけどね、別に健常者のお宅と何も変わらないんですけどね」とある母親が話してくれた。

 障害者がいる家族は不幸で暗くて、障害者の面倒は家族が見るべきなどという様々な「普通」が、ほんの少しの社会が変われば、別の「普通」に変わるだろう。

 人間は人間の中で生きている。どんなに重い障害があっても地域で人々の中で人々と関わりながら生きていくということ、障害者の家族も自分自身の人生を生きられるということが当たり前の「普通」である社会が当たり前の社会になればいいと、心から思う。

 そして、健常者も障害者とふれあうことで、たくさんのものを得ることができる。お金では買えない何かだ。

 大人がどんなに言葉で命が大切、命の価値に上下はないとと子供たちに伝えても、今、社会を動かしている価値観が違うのだから、伝わらないだろう。

 だけど、彼らが毎日懸命に生きているその姿を見せただけで、子供は命を感じ取るんではないだろうか。

 障害児のいる母が明るくしていても「すごいね」なんて言われない、明るいのが「普通」の社会になるために、この映画がささやかでもお手伝いできたらと思う。


   




【プロダクションノート part.3】

 「普通に生きる」 映画の働き

                      制作補 : 梨木かおり

 この作品の編集が佳境に入った頃、日本が3.11の東日本大震災に見舞われた。そして福島第一原発の大事故が起きた。多くの人がこの震災と人災で家族や今までの暮らしを失い、笑顔を失った。多分、日本中の人々がそうであったように私も震災後、笑うことができなくなっていた。

10日程経って、編集を再開し、でら〜と、らぽ〜とに通う利用者さんたちの姿がパソコンのモニターに映し出された。ふと気づくと微笑む自分がいた。利用者さんの笑顔を見ると自然に顔がほころんでしまう。何度も、何度も繰り返し見るのだけれど、何度も何度も同じように自然に微笑んでしまう。

 これからこの作品に登場するみんなが(私がそう願うまでもなく)、多くの場所で多くの人たちに笑顔を分け与えて、人々の心を温かく包んでくれることだろう。それは登場するみんなの働きであり、この作品の働きの一つであると思う。