推薦文集


「普通に生きる〜自立をめざして〜」推薦のことば

             

神奈川大学特別招聘教授 浅野史郎 

 障害者のこと、特に、重症心身障害者のことを、あまり知らない人たちに、この映画を見ていただきたい。「障害者はかわいそう」、「障害者は、家族を不幸にする」、「障害者は何もできない」、「重度の障害者に自立なんてありえない」、「障害者は入所施設で暮らすのが幸せだ」、「障害者のめんどうは家族が見るのが当然」といった思い込みが、いっぺんに変わってしまうだろう。また、わが子のことを考えて、地域での支援の施設が欲しいと思いながらも、実現の困難さから、あきらめてしまった障害者の家族にも見てもらいたい。「やればできる」、大きな勇気をもらうはずである。

 養護学校(特別支援学校)を卒業した後、重度の障害を持った子どもは、自宅で親とべったりの生活に戻るか、入所施設に住まいを移すか、その二つしか選択肢がない。昼間に通っていける場があれば、そこで仲間と一緒に活動ができるし、その間は、親の手から離れられる。私は厚生省の障害福祉課長時代に、重症心身障害者通園モデル事業を平成元年度の国の予算に組み込み、全国5ヶ所で通所事業が実施されるのを見届けた。横浜市栄区の「朋」では、それより前に先駆的に通所事業を始めていた。

 この映画に出てくる、静岡県富士市と富士宮市の親たちは、重度の障害者が日中通える場を求めて、力を結集し、粘り強い運動の末に、「でら〜と」という通所施設の設立を果たした。

 日常生活のあらゆる面で、介助を必要とし、言葉もなく意思表示が難しい重症心身障害者が、毎日、「でら〜と」に通ってきて、活動の花を咲かせている。仲間や施設職員とのかかわりの中で示す表情豊かな反応を、この映画は克明に映し出す。密着するカメラは、楽しいことをやっている彼らの表情を逃さない。これが普通の生活である。これが幸せの形である。施設職員のかゆいところに手が届く支援ぶりも、見ものである。
 重い障害を持って、「でら〜と」に通ってくる重症者が、地域の中での毎日の生活を楽しんでいる様子がよくわかる。彼らが、「普通の生活」を送れることが、幸せにつながる。一度は、「死にたい」とまで思い詰めた親たちも、子どもたちの今の姿を見て、心から幸せを感じていることが、映像から伝わってくる。

 見終わって、いろいろなことを感じる。こんな重い障害を持った人たちが、幸せになってよかったね、ということだけでは終わらない。この映画は、さらにその先の根源的問題、人間とは何か、人生とは、生きるとは、幸せとは何か、地域の力とは何か、家族とは何か、障害者問題を超えて、もっともっと大事なことを教えてくれる。教えてくれるのは、ものも言えない、自分では動けない身体の彼ら重症心身障害者が地域で生きる姿である。そこまで我々を導いてくれる、この映画に乾杯。

 浅野 史郎 氏 プロフィール

 1948年(昭和23年)2月8日生まれ。宮城県仙台市出身。
 東京大学法学部卒業後1970年厚生省に入り、社会局老人福祉課課長補佐、在米日本大使館一等書記官、年金局企画課課長補佐を経て、1985年北海道庁福祉課長。ここで障害福祉の仕事に初めて出会う。1987年9月厚生省障害福祉課長。たくさんの仲間と出会い、「障害福祉の仕事はライフワーク」と思い定める。
 1993年11月、厚生省生活衛生局企画課長で23年7ヶ月務めた厚生省を退職し、宮城県知事選挙に出馬、当選。1997年10月、再選(第二期)。2001年11月、再選(第三期)。2005年11月20日、任期終了にて知事職 を勇退。
 3期12年の知事職退任後は、宮城県社会福祉協議会会長(2005年4月〜2007年3月)、東北大学客員教授(2005年12月〜2007年3月)、社団法人日本フィランソロピー協会会長(2005年12月〜)を務める。
 慶応義塾大学総合政策学部教授(2006年4月〜)として教鞭を執っていたが、2009年5月にATL(成人T細胞白血病)を発症。2年にわたり、病気の治療に専念し順調に回復への経過をたどった。2013年より神奈川大学特別招聘教授。




「普通に生きる〜自立をめざして〜」を観て

             

社会福祉法人訪問の家 理事 日浦美智江 

 この映画の中で、「でら〜と」の職員心得に 『「普通」という概念は時代とともに変化していく。常に社会から学び、自分も成長していく姿勢を大切にする』 とあります。本当にその通りだと思いました。
 かって障害のある人たちは、世間から隠され座敷牢と呼ばれる部屋に閉じ込められているのが「普通」でした。しかしやがて一人の人間として社会参加が可能になり、自立を目指すのが「普通」になりました。
 1986年、日本で初めての重症心身障害児者の通所施設「朋」が生まれ、重い障害のある人たちの自己実現の舞台ができました。しかしまだ当時は親はわが子の自己実現に自分の自己実現を重ね、親と子は一心同体というのが一般的には「普通」だったと思います。
 当時の母親たちは、70代になりました。 「でら〜と」の母親たちは、40代、50代です。
 子どもの自己実現と自分自身の自己実現に胸を張って取り組んでいます。親と子は一心同体ではなく二人の別々の人間であることが「普通」なのです。例え我が子に重い障害があっても、親自身の自己実現があるのが「普通」なのです。親と子、それぞれの自立です。子どもの幸せは親の幸せであり、親の幸せは子どもの幸せです。そこにどんな条件が加わろうと、それが「普通に生きる」ことなのだと、それを見事に見せてくれた「でら〜と」のみなさんに心からの敬意と拍手を送ります。

 日浦美智江氏プロフィール

 1938年、広島県に生まれる。広島女学院大学英文科、日本社会事業学校研究科を卒業し、1972年、横浜市立中村小学校訪問学級指導講師に。? そして1983年に障害者地域作業所『朋』指導員となった後、1986年に重度重複障害児が養護学校卒業後に通う通所施設、知的障害者通所更生施設『朋』の施設長に就任し、2000年には理事長に。その間、横浜市をはじめ神奈川県の福祉事業向上になくてはならない人になった。
 2005年04月からは訪問の家の理事長の他に、社会福祉法人 十愛療育会 理事長を兼任していたが、2010年には十愛療育会に完全移籍し、現在は入所施設の環境改善・新しい施設建設に力を注いでいる。
 また、福祉に尽力し功績を残した人に贈られる「ヤマト福祉財団賞」をはじめ、「糸賀一雄記念賞」「横浜文化賞」「神奈川イメージアップ大賞」などを受賞している。




『 普通に生きる 』

             

 日本福祉大学教授 原田正樹 

 2011年、この年に『普通に生きる』ことが公開された意味は大きいと思う。

 2011年。それは国際障害者年(1981年)から30年の節目。国際障害者年は「完全参加と平等」がテーマになった。ノーマライゼーション(normalization)という、ふつうの暮らしを営むことは権利であるという考え方が世の中に広がった。そのときに問題提起されたのは「弱者を閉め出す社会は、弱くて脆い社会である」という考え方だ。その後、障害者をとりまく法律や制度は改正され続けてきた。でもこの30年、私たちの社会は「普通に生きること」が当たり前になってきたであろうか。溢れ出る「生きづらさ」が露呈する現代社会のなかで、こどもたちから「ふつうにいきるって、何?」と問われたときに、私たち大人はどう答えることができるだろうか。

 2011年。それまで当たり前のことが当たり前でなくなる現実に、改めて直面した。東日本大震災が21世紀の日本の今を止めた。「自然」とのつきあい方、「科学」との向き合い方、「運命(いのち)」の儚さと逞しさ。私たちはたまたま今も、こうして生かされている。私たちはこれからどちらに向かって歩き出せばいいのだろう。呆然と立ち尽くしながら、それでも感じていることは、自然に「抗う」ことではなさそうだ。それは従来よりももっと高いコンクリートの防波堤をつくることではなく、もともと弱い私たちの生命をみんなで護りあっていくことだろう。普通に生きる、この極めて当たり前なことが、実はとても難しく、そして限りなく尊いことを私たちは心に刻み直さないといけない。でも考えてみれば、このことは大規模な震災だけのことではなく、障害のあるこどもたちはその存在を通して、いつも投げかけてくれている。

 『普通に生きる』、この映画はそんなことを考えさせられる。映画の舞台、「でらーと」ではそんな営みがカタチになっている。今、障害者の制度改正は、大きく揺らいでいる。障害のある人たちの「生存権」とそれを支えるサービスのあり方、そこには「障害」とは何かという根源的な問題がある。少なくても「自立」とは本人の内発的な生きたいという叫びであって、国家が「自立支援」を促すものではないと思う。制度は「生存を保障する」ものであって、「生き方を管理する」ものではない。こう書くと難しい理屈のように受け止められるかも知れないが、映画に登場するこどもたちの「笑顔」、親たちの「涙」、そして普通に生きようとするそれぞれの「希望」は、そのことを物語ってくれている。そして、この映画が本当にすごいことは、こうしたメッセージを自然に優しく描いていることだ。

 「でらーと」の素敵な歩みと出会えた2011年、私たちは彼らからいただいた「勇気」を糧にして、自分たちのまちで歩み出したい。

 原田正樹氏プロフィール

 1965年、長野県生まれ。日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科修士課程修了。重度身体障害者療護施設、横浜国際福祉専門学校、日本社会事業大学、東京国際大学を経て、現在は日本福祉大学社会福祉学部教授。修士(社会福祉学)。専攻は地域福祉・福祉教育。