[作品に寄せていただいた所感集・アンケート]


■ 愛の絆‥‥‥「風 流れるままに」を見て  

    映画監督 新藤兼人     

 
 
「風流れるままに」は愛の記録である。アルツハイマーになった妻を、夫が仕事をなげうって看病していく。その一部始終が、まつわりつくようなカメラワークでとらえられている。日々人間性を失っていく妻を、夫はどんな切ない気持で見守ったであろうか。
 人は、人と出会い、しあわせを築いていくが、あるとき過酷な運命に襲われ、結ばれた絆が崩れる。そんなとき、人と人はもっと強く結ばれるのであろうか。
「風流れるままに」にそれを見た。




 ぴらちか通信 vol.4 から   1999年10月30日

 今回は、BOX東中野で10月23,26,29ので三日間だけ上映された映画について書こうと思います。
「いっしょに生きよう `90 年代ドキュメン タリー映画に見る福祉・介護のかたち」と題して組まれた特集の番組の一つです。

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「風 流れるままに」と 「おてんとうさまがほしい」所感

ぴらちか通信主宰  沖本幸子   

 人が人と共に生き抜くというのはこういうことなのだなあ、と深いところで 感じさせられる映画でした。「愛する」ことの重みをずしりと感じる映画で す。
 この二本の映画は、映画の照明技師で、今年82歳になる渡辺生さんが、60代前半にしてアルツハイマーの兆候を見せ始めた妻のトミ子さんを10年に 渡って撮り続けた記録を中心に、二人の生活を追ったドキュメントです。
 当初は、夫の生さんが、もの忘れがひどくなり、話がかみ合わなくなってき たり、手紙が書けなくなってきた妻トミ子さんの状況をかかりつけの医師に伝 えるために撮っていたものでした。
 映像は静かに彼女の異変を追って行きます。仕事に出かけた夫を追いかけて骨折してしまったり、次第に徘徊が始まる など、だんだん症状が重くなっていくトミ子さんに対し、生さんは、暮らしの環境を変え、仕事を減らしながら、妻に寄り添う生活を続けます。発病から三年後、アルツハイマー病という診断がなされ、徘徊が激しくなって、とうとう 生さんやヘルパーさんの助けを借りても日常生活に支障を来すようになり、トミ子さんをは入院することになります。
  少女の頃は陸上選手で、若い頃にはGHQで通訳や秘書として活躍していたという、華やかで健康で、そして、痴呆になってもずっとおしゃれであり続けたトミ子さん、生さんの問いかけに笑顔で答えていたトミ子さんです。入院する 前日に夫婦はこんな会話をしていました。「明日、山の病院に行ってくれる?」「うん」「お願いね」「そうよ、そうしたら帰ってくるから」「う ん・・・・」「帰ってきたら『ヨロシイデゴザイマスカ』って、アハハハハ」トミ子さんは大声で笑っていたのです。
   そのトミ子さんの、入院10日後の映像は、しかし、変わり果てたトミ子さ ん伝えていました。他の痴呆の老人と一緒に、パステル色のトレーニングウエ アを着せられ、髪の毛も梳かしただけのおかっぱ髪という出で立ちで、無表情に病院の廊下の手すりをつたっていく姿なのです。何のナレーションもなく映し出されるその映像は、非常にショックなものでした。実際、生さん自身、妻 のあまりの変わり様に、半年間カメラを向けることができなくなってしまった と言います。  
 しかし、その後、生さんは看護婦さんたちの献身や、患者同士で助け合う姿 に打たれ、再びカメラを持つ事を決意します。「最初は、こんな姿を撮って悪 いなあ、と思ったんですけど」、殆ど家族から見放されているような患者達の 生き様、介護している人たちのありかたを撮っておきたいと思ったのだそうです。
入院後のトミ子さんを見て、病院に入れたことで変わってしまった妻の姿を誰よりも辛く受け止めたのは生きるさんであったと思います。お揃いのトレーニングウエアーや、その服の胸にマジックで書かれた病棟番号、丸裸のままで運ばれ何人もの目の前で行われる入浴・・・。非人間的な扱いだ!と憤り たくなるような場面もたくさん映し出されています。にもかかわらず、生さん は、そんな怒りをぶちまけることなく、感謝だけを述べて、殆ど毎日、もはや 自分のことを判別してくれているのかどうかもわからない寝たきりとなった妻 のもとに通っています。
 どうしてこんなに淡々と、そして毅然としていられるのでしょうか。
 それは、恐らく、生さんが、外部の人間、制度が助けうる限界というものを悟っていたからだと思うのです。他人だからできること、制度だからできるこ と、それをやってくれている人たちへの謙虚な敬意がそこにはあり、また、同時に、どんな中でも妻を支えてゆくのは自分なのだという覚悟が、生さん自身 の中にあったような気がするのです。
 生さんは言います。「どんな病を背負った人でも、家族がお世話することだと思います。相手がもうわからないだろうと思って全然会いに行かないという人もいるけれど、それは違っていると思うんですよ。看護婦さんも福祉関係の人たちもみんなよくやってくれていて、本当に親切です。でも、やっぱり家族 だと思うんですよね。家族。特に夫婦は。若いときはね、手をつないだり、キスしたり、そういうことが愛情だって思うかもしれないけれども、年取ったらね、どっちかが倒れた時、最後まで助け合っていく。それが夫婦なんだと思います。」「どんな人でも、どんなになってしまっても接することだと思うんです。」そして、トミ子さんの入院から六年、もはや殆ど口もきけず、寝たきりで、音声を発するのがやっとという感じのトミ子さんに、毎日のように会いに行き、肩をたたき、話しかけて、「トミちゃんがニコニコっとしてくれると嬉しいんだよ」そんな風に語る生さんがいます。
  
 痴呆を含めた老人介護をめぐる状況がよりよくなっていくことを、もちろん願わずにはいられません。制度や施設の充実を心から望みます。けれども、どんな制度の中に置かれていても、黙して、つつましく、そして、誠実に生き抜 こうとしている人たちがいることを私たちは忘れてはいけないのだと思いま す。逆に言えば、どんなに制度や施設の充実が図られたところで、その外的な 要素では決して代替不可能なものが、人間の営みの中にあるということです。 経済性や効率といったことには還元できない何かが、人と人との営みの中には 存在するし、そういうものによってしか、人として生き切れぬ、生かされ切れ ぬものなのだということを、感じさせられる作品でした。
 
 憤ること多く、主張すること多く、しかし、体制、制度のせいにして、動かずにいる自分が恥ずかしくなります。
 黙々と日常に徹して生きている人たちの中に、実は、本当にすごい人たちがいる。どんな偉大な哲学や思想の言葉より、重みのある生き方をしている人が いるのです。そういう生き様をじっと見つめながら、自分ができること、なすべきことについて考え、行動してゆきたいと思います。

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  「風 流れるままに」  撮影:渡辺生 構成・演出:貞末麻哉子 
              制作:風流れるままに製作委員会 1999年
 
  「おてんとうさまがほしい」 撮影:渡辺生 構成・編集:佐藤真
               制作:おてんとうさまがほしい制作委員会 1994年
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 注記

 なお、この二本の映画の制作スタンスの違いというのも面白い。前者「風流れるままに」が夫婦の関係性というものに重きを置いているのに対して、後者「おてんとうさまがほしい」は、病院の在りよう、実状といったものを多く捉えている。構成者の視点の違いが非常に良 く出ているのだ。個人的にはじっくりと渡辺さん夫婦に向き合って作った感の 強い前者の方に強く感動しており、当初は「風 流れるままに」に絞って記す予定でいた。ただ、2度目に見に行った際に、書こうと思っていた場面、セリフのいくつかが「おてんとうさまがほしい」のものであったことが判明したこ と、そして、「風」をより深く理解するためにも、両方を見て置いた方が良いのではないか、と思ったことから2つの映画の所感として記したものである。

 後記 〜ことばの体温〜  

 2本の映画について書いていて、生さんのセリフの記憶がおぼつかなかった。心打たれたシーンであるのに思い出せず、もっと何か良い言葉で語ってい たような気がしてならなかったのである。
 そこで、もう一度映画を見に出かけた。
 すると、生さんの言葉自体はそう特別なものではなかったことに気づかされ た。しかも、よく考えると論理的でなく、筋道が通っていないようなところも ある。
 では、なぜ生さんの語る言葉に心を動かされたような印象が残ったのだろう か。一つには、「語り口」ということがあったと思う。生さんは、自然体で、ゆっくりと考え考え話していく。「病気と言ってしまえば病気、運命と言ってしまえば運命だけれども、なんか こう・・・」「トミちゃんっていうのは、ほんとに親孝行で最後まで両親の面倒をよく見て て、動物や草花をすごく可愛がるといった面もあって、そういう人がどうしてこんな恐ろしい病気になってしまったのかと思うと、考えても考えきれないと いうか・・・」 生さんの話を聞いていると、結論を出し切れぬ、割り切れぬほどの深い思いというものを背後に感じてしまうのである。言葉の意味よりも、言葉から感じる 生さんの人柄、生き様、そういったものが、私の感動を支えていたのだと思う。なんとも言いようのない誠実さと、トミ子さんへの愛情が、語る風情にに じみ出ていたのである。
 人が自分の言葉で語ろうとする時、その言葉には体温がある。その体温を知らず知らず感じ取りながら、私たちは相手の言葉に耳を傾けている。仕草や表 情、言葉の間合いや、その人が背負っている歴史などなど。目に見えず、言葉 の形に凝縮されないが、しかし、確かにそこにある気配のようなもの、こういうものの「察しあい」が会話というものを支えているのだろう。
 セリフを忠実に記録してみたところで、決して伝わらないものがある。
 そういうものを敏感に捉えている映画だったし、映像のすごさは、言葉を支 える様々なものたちを抱え込みつつメッセージを送ることができるという点に あるのだろう。目下私は、言葉を通して、言葉の水面下にある体温や気配を伝えたいと願っているのだが・・・。
 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜「ぴらちか」の由来〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「ぴらちか」とは、八重山・西表島のことばで「なまけもの」の意味です。たとえば、合鴨農法をしている田圃に鴨を食べに猪がやってきて、田圃を 荒らしてしまったりします。でも、いつも山を守り、そして、時には食糧となってくれる猪に感謝して、荒らされてもすぐあきらめてしまう。「まあ仕方ないさねー。いつものお礼さねー。」そういってなんの対策もこうじない。こういうのを、島では「ぴらちか農法」といっています。確かになまけものはなまけもの。適当と言えば適当。でもそれが、なんとなく、自然とうまくやってゆくため、毎日をスムーズに運営してゆくための知恵であり、暮らしのゆとりであるような気がするのです。
 そんな「ぴらちか」への想いから「ぴらちか通信」と名付けてみました。 

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 上映会後のアンケートより

   2001年109日(火)
  東京都・品川区立平塚中学校・家庭教育学級 にビデオ「風流れるままに」の上映
(貞末の講演付)に伺いました。
  その際に、アンケートを集めてくださいました。

●“人間としてきれいな生き方だなあ”と思いました。日常の人間関係を大切にしていれば、どんな病気こようとこわくないと思えるような二人の生き方を見せていただいて感じました。ただそこに居てくれるだけでいいと思われる人になりたいし、そう思える人になりたいと思いました。

●本日は、アルツハイマーという大きな原因不明の病を通し、夫婦のきずなと、今後このような痴呆症に地域社会がどうあるべきか‥‥の大きなテーマについてドキュメンタリー映画を拝見し、プロデューサー貞末様のお話しを伺うことができました。本当にひとりひとりが考えてゆかなくてはいけない大きな21世紀のテーマだと感じました。さて自分自身には、何が出来るのか、これから考えてゆこうと思います。

●どんなことでも視点を変えて、それぞれ“愛”と“寛容”の気持ちを持って見れば、自分にとっても、また関わる人にとっても前向きになれるし希望の光がうまれると思いました。“老いる”ことは、今は他人事でも、自分にも当然訪れるものでもあるし、もっとやさしい目で、そういう物忘れのひどい自分の親にも接していきたいと思いました。身内の介護は元気な時を知っているだけにつらくあたってしまうこともあると思うし、身内の介護は元気な時を知っているDけにつらくあたってしまうこともあると思うし、そんな時、地域などのつながりが重要だと思いました(心の中を吐き出すだけでも)

●ショックでした。トミ子さんがあんなに明るくて元気でどこいんでも歩いていっていたトミ子さんが病院に入院してどんどん変化してしまった。多分生さんはずっと一緒に暮らしていたかったんだろうなと思う。でもきっと、私も、トミ子さんの隣に住んでいたなら、言ってしまったんだろうな「火の元が心配です」と。

●貞末さんもお話しになっていましたが、鏡を見ながら歌われていたところがとても考えさせられました。ビデオとお話しのおかげで、今まで知らなかったことなど少しわかったように思えます。ありがとうございました。

●今後の参考になるとても良いビデオを観られて良かったと思います。貞末さんもおっしゃってましたが、自宅より病院に入った時のトミ子さんの表情がとても変わったことにショックを覚えました。

●本日はご苦労さまでした。夫婦について、身につまされながら考えることが多きお話しでした。老人問題だけでなく、子育て、人付き合い等にもダブラされながら、色々と考えてみる題材となりました。ありがとうごいざいました。

●今日は、出席してよかったと思います。私にも痴呆の父がいます。ビデオを観てとてもあんなに寛容にはなれないなあと思いました。もっとゆったりした気持ちですべて受け入れてあげれる気持ちが必要だと思いました。とても勉強になりました。これからの介護に役立てたいと思います。今日はありがとうございました。

●此のビデオを観させていただいて、誰に対しても相手の立場になって物事を考えてあげることの大切さを感じました。

●私自身の周りには現在はいませんが、たまたま先日、今おもえばそのような病状の方が家の前にいて、近所の方々とあーだこうだと聞きながら、さいごはパトカーに来てもらいました。ふっと思ったのですが、きっとひとりで外に出てしまったのでしょう。やはりとても足腰の丈夫な方で言ってる事はちんぷんかんぷんでしたが、しっかりした感じの人でした。

●病気の方々がもっと人間らしく生活できる体制が整っていけるようにして欲しいと思いました。入院十日後のトミ子さんの変貌はとてもショックでした。

●とても明るい介護に驚き、感動しました。身内を同じ病気で亡くし、とてもつらく、悲しい思いをしましたが、もっと早くこのようなビデオを見ることができていたら接し方も変えられたのにと悔やまれます。

●とても有意義な時間が持てました。私も、アルツハイマーの母を持ち、父と母の姿を重ねながら、ビデオを見させていただきました。貞末さんの、社会的活動を元にしたお話しも大変興味深かったです。どうもありがとうございました。

●自分がアルツハイマーになっても、トミ子さんのように夫に世話はしてもらえないだろうし、世話をされるのもイヤだと思っていた。ボケたら施設に入れてと夫にも子どもにも言ってある。それでいいと思っていた。でもトミ子さんと生さん夫婦の生き方は素敵だと思う。これから私達夫婦の在り方を真剣に考えてみようと思った。



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以下が関連三作品です。各作品の詳細にリンクしています。ぜひゆっくりご覧ください。

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 この映画は、
 ひとりの老映画作家が、
 自分と病の妻に向き合った日々を記録した
 映像によるエッセイである

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