映画「梅香里(メヒャンニ)」に寄せて
沖縄・湯布院・韓国の人々の交流から生まれた地域合作映画〜

 監督西山正啓

 福岡県で暮らすようになってから大分県湯布院町へよく通うようになった。ゆふいん文化・記録映画祭が始まったことも大きいが、[米軍基地と日本をどうするローカルNET大分・日出生台] の事務局をしている浦田龍次さんと松村真知子さんが沖縄・韓国の米軍基地問題にかかわる人々とのネットワークをつくっていたからである。彼らは沖縄本島でおこなわれている米海兵隊104号県道越え実弾砲撃演習の本土移転先のひとつが湯布院町に隣接する日出生台であったことから、沖縄が抱える基地の重圧、痛みを自分のものとして考えなければならなくなっていた。沖縄でおきている事が他人事として見過ごせなくなったのである。そして同時に、沖縄が先に進めていた韓国の米軍基地や米軍犯罪の根絶にとりくむ人たちとの交流も始まった。

 1998年、ローカルNET大分・日出生台のメンバー8人が初めて韓国を訪ねる。米軍犯罪根絶運動本部が龍山(ヨンサン)米軍基地正門前で毎週おこなっている米軍犯罪根絶と韓米地位協定の改定をめざす金曜集会に参加するなどした後、米空軍の射爆場がある梅香里を視察する。
 翌年2月、日出生台で初めて米軍の演習が行われるのにあわせて運動本部の金 同心(キム ドンシム)さん、全国共同対策委員会の金 容漢(キム ヨンハン)さんらを湯布院に招いて講演会を開催する。

 2000年2月には梅香里から全 晩奎(チョン マンギュ)さん、4月には運動本部の事務局スタッフで現在は事務局長をしているイ ソヒさん、梅香里に住み込んでドキュメンタリーを撮っている「闘争速報」の高安元錫(コアン ウォンソク)さんらを次々に招いて交流を深めていく。
 6月、松村真知子さんは沖縄で開催された「国際女性ネットワーク会議」に参加、金 同心さんとこの頃沖縄に留学中だった運動本部事務局長の
鄭 柚鎮(チョン ユジン)さんと再会し旧交を暖める。

 8月、私は梅香里で起きている大規模な大衆闘争を映像で初めて見る機会に恵まれた。高安元錫さんと二人でドキュメンタリーをつくっている趙 知恵(チョー チヘ)さんが完成したばかりの「梅香里米軍国際爆撃場閉鎖のための闘争速報」を持って来日。全国縦断上映会の一環として湯布院で行われた上映会に参加したからだ。主催は ローカルNET大分・日出生台 。米軍基地をめぐる韓国民衆運動の実情と現場の息遣いを一生懸命伝えようとする趙 知恵さんのひたむきな姿勢に心をうたれる。梅香里の存在がぐっと身近になる。これはもう現場に行くしかないと思った。


 韓国の首都ソウルにある龍山(ヨンサン)米軍基地前で
命どぅ宝(ぬちどぅたから)という言葉を聞くとは思いもよらなかった。今年2月、韓国内で起きている米軍基地の存在を問う動きや米軍犯罪の根絶に取り組む市民活動をインタビュー取材していた時のことだ。駐韓米軍犯罪根絶運動本部の事務局長で、現在は同組織の平和教育委員会 委員長をしている鄭 柚鎮さんは、人間にふりかかる暴力の根源について、不条理な米軍犯罪によって苦しんでいる被害者の痛みについて述べたあと、これは私にとってとても重要なことです、と前置きして再び語り始めた。

「私は1997年に沖縄を初めて訪れた時、“命どぅ宝”という昔からある考えを知って衝撃を受けました。この世の中で生きているものの命がもっとも重要なのだということを悟った喜びと、どうして今までそれを知らずにいたのかという悲しみとが複雑に絡み合いながら、私に深い悩みをくれたのがこの言葉だったからです。軍事力に依存する安全保障の考えから、一人一人の人間が平和で幸せに暮らせる人間安保に変えていくために“命どぅ宝”という沖縄の思想を私たちは早くから学ばなければなりません」(鄭 柚鎮)

 私は15年前、チビチリガマ世代を結ぶ平和の像の制作過程を記録した映画「ゆんたんざ沖縄」の撮影で沖縄の風土と人々に出会って以来、生活の中にいつも“沖縄のこと”を持ち続けている人間のひとりだが、鄭 柚鎮さんのように「命どぅ宝」について深く考えてみたことはなかった。韓国で沖縄の思想を自分の言葉で語る鄭柚鎮さんの凛々しさに、インタビューする私は共感し感動を覚えながら、一方では、普段使い慣れている言葉のせいか知っているつもりになっていた自分を心の中で恥じていた。

 この映画のタイトルはソウルから車で約2時間、韓国の西海岸にある梅香里という小さな村の名前からとっている。日本の植民地時代、この村は古温里と呼ばれていた。温暖な気候、農業に適した肥沃な大地、広大な干潟が恵んでくれる豊富な魚貝類。古温里はシャベルと篭さえあれば誰もが暮らしていける、それほど豊かな土地だった。植民地からの解放後、村の名前は古温里から梅香里へと変わる。干潟に浮かぶ小さな島々と海岸線の丘に群生する梅の木が、村人にとって誇りだったからだ。春になると梅の花の香りが海風に運ばれて村じゅうに満ちていたという。生活は貧しかったが、おだやかで平和な暮らしがあった。6.25事変(朝鮮戦争)が勃発した翌年の1951年、韓国に駐屯するアメリカの空軍部隊(駐韓米軍)は梅香里の大地と干潟を戦闘機の爆弾射撃訓練場として強制的に使い始めた。海岸線に群生していた梅の木はブルドーザーによって削り取られ、その跡地には訓練用の射的が立てられた。村人たちは農地を奪われ、干潟まで海上射爆場にされてしまった。生活手段のすべてを奪われた村人たちは、食べる物さえないほど苦しい生活を強いられた。


 戦争が終わっても米軍は出て行かなかった。爆撃訓練は少なくなるどころか日を追って激しさを増していった。干潟に浮かぶ島々は昼夜かまわず続く爆撃訓練で木々の緑はすべて失われ丸裸にされてしまった。干潟はいつも火の海だったと戦乱を生き抜いてきた老人たちは言う。以来、度重なる誤射、誤爆、不発弾の爆発による死亡事故、爆音被害に苦しむ長い苦痛の日々が始まった。

 同じ民族が殺し合い、生き別れ憎しみ会うという想像を絶する分断の悲劇から半世紀。長期にわたる軍事政権の中で厳しい弾圧を受けながら粘り強く進められてきた民主化運動。ソウルオリンピックが開催された1988年までは駐韓米軍に対する批判、抗議行動は国家保安法によって弾圧の対象にされていた。マスコミはその事実を報道することさえ許されなかった。アメリカは解放軍であり、北の軍事的脅威から祖国を守ってくれる“父の国”友邦国であるという徹底した教育がなされていたからだ。こうして米軍基地があることで惹き起こされる環境汚染や米兵による殺人、レイプ、放火、強盗などの凶悪犯罪を社会全体の問題として取り上げることの出来ない時代が長く続いたのである。米軍犯罪被害者の人権は顧みられることがなく闇に葬り去られてきた。つい最近まで駐韓米軍はやりたい放題だった。

 映画「梅香里」は、朝鮮戦争以来、目の前に広がる豊かな漁場(干潟)を戦闘機爆撃場にされた小さな村・梅香里の生活権、生存権をかけて闘う住民の姿と、アメリカ兵にレイプされ虐殺された女性の死をきっかけに立ち上がった鄭 柚鎮さんら米軍犯罪の根絶運動に関わる女性たちの活動と暴力の根源を問う魂のメッセージを記録している。彼、彼女たちは韓国を北朝鮮の脅威から守るためと称して駐屯している米軍の横暴さに耐え切れなくなり、弾圧を覚悟で声を上げ始めた人たちである。そして、人を殺した米兵を逮捕することも裁くことも満足に出来ない不平等な韓米地位協定(SOFA)を改定しようと粘り強い活動をつづけてきた。いま韓国の人たちは米軍の存在と地位協定のまやかしを厳しく問い始めている。



 私がこのドキュメンタリーを撮ろうと決意したのは、沖縄、湯布院、韓国の米軍基地被害にかかわる人々の国境を越えた交流と信頼関係で結ばれた地域ネットワークに希望を見つけたからだ。いま沖縄は日本本土に住む大多数の人間の無関心によって辛い状況にある。湯布院の製作上映委員会をひきうけてくれた人たちは在沖米海兵隊の県道104号線越え実弾砲撃演習が日出生台に移転してきたことで、沖縄の苦痛を他人事ではなく自分の問題として受け止め行動してきた。人の苦痛を受け止める感性のゆくえは国境や全てのバリアーを越えて人間的な信頼関係を育む。

 映画に登場する鄭 柚鎮さんは昨年暮れまでの6ヶ月間、沖縄大学に研究員として留学していた。彼女はゆふいん文化・記録映画祭も沖縄の今回の上映会にも韓国から駆けつけてくれた。シュガーホールの上映会にはわずか3日間という短い滞在だったが、彼女に対する沖縄の人たちの視線と態度は信頼に満ち溢れていた。米軍犯罪根絶運動本部は来年2002年6月、韓国で国際女性ネットワーク会議を主催する。平和教育部の鄭 柚鎮さんと金 同心さんは8月中旬から来年の1月末まで平和教育の研究でアメリカに留学する。帰国後、彼女たちは映画「梅香里」の自主上映を始める予定でいる。

「連帯は人間愛を育てる過程です。梅香里の涙が、軍事基地を背負う人々の悲しみの涙に終わらないように、韓国―沖縄をはじめ世界中に広がりつつある平和運動の国際連帯がいつの日か勝利することを、私は信じています」(鄭 柚鎮)

 これから本格的にスタートする「梅香里」の全国上映が、沖縄に押し付けている基地の重圧がどれだけ苦痛であるかを多くの人々が自覚し、平和を求める人々の国を越えた連帯に発展していけばこれほど嬉しい事はない。



2000年●5月 ゆふいん文化記録映画祭で行われた初の一般試写の模様
2000年●7月 沖縄で行われた初の一般上映会の模様





<注釈>

米軍犯罪根絶と韓米地位協定の改定をめざす金曜集会

韓国には現在、約8025万坪の土地に96数ヵ所の「在韓米軍」基地が存在し、約3万7000人の兵力が駐屯している。このため、米軍犯罪も後を絶たない。「韓米行政協定」によって米軍犯罪に対する拘束捜査・裁判権がなく、犯人は逮捕直後に身柄を米軍側に移され、基地内で無罪放免というケースがほとんどだ。こうした不当な現状に市民は怒りの声を上げている。

 「後を絶たない米軍犯罪、米国は謝罪せよ」「『韓米行政協定』の全面改正を」。「駐韓米軍犯罪根絶のための運動本部」のメンバー10数人が、横断幕を掲げ、ソウル・龍山区にある米軍基地に向かってシュプレヒコールを上げている。彼らは1994年12月末から「金曜集会」と題するデモを毎週、米軍基地前で行っている。2000年12月18日に200回目を数え、現在も休まず続いている。

 「駐韓米軍犯罪根絶運動本部」は、1992年10月に米軍専用クラブの従業員、ユン グミさんが殺害された事件の時、韓国当局の裁判権行使や補償を訴えるために発足した対策委員会の運動を受け継ぎ、女性、人権、労働、市民、学生など各界24団体の参加の下、1993年10月に結成。
 翌年には10ヵ所に被害者の相談を受ける「米軍犯罪申告センター」を開設した。現在は、・申告センターの運営 ・米軍基地の実態調査 ・女性の人権保護のための運動 ・「韓米行政協定」改正運動 などを行っている。

 「『私たちに民族主権はない』、こう考えさせる存在が米軍です」と鄭柚鎮事務局長は語る。くじけそうな時もあったとういが、「金曜集会が力を与えてくれたから、長い間がんばってこれた。本当の『平和な世の中』を築くため、今後も積極的に動きたい」  


『命どぅ宝』とは、命こそ宝 を意味する言葉

 それは人間の命だけでなく、自然のすべての命も、そして、私たちが生み出す感動と歓びの命こそ、何ものにもかえがたい尊い宝物であるという意味をもっている。

 *沖縄の方言で、ある言葉を強調する場合には、"どぅ" という助詞が(『〜どぅ』で、「〜をこそ」)使われる。

 *参考:サミットの席上「平和の礎」ででクリントン大統領が“命どぅ宝”の文言を引用したことに対する鄭 柚鎮 氏の記名記事
  *参考:その際「首里城明け渡しの際に尚泰王が詠んだとされる琉歌(「戦世も すまち 弥勒世も やがて 嘆くなよ 臣下 命どぅ宝」 )に由来するとクリントン大統領が演説に引用したことに対し、こういう
反論もある。


下記ホームページをご紹介します。

 梅香里・米空軍射撃場(KOONI FIRE RANGE:クーニー射撃場)に関する詳しい資料は、
 
沖・韓 民衆連帯のホームページ・資料室内
 
梅香里(概要、被害、闘争)のページに紹介されている
<1989年の大韓弁護士協会「人権報告書」の中、「華城郡梅香里、米軍専用射撃場地域調査報告書」から大部分を抜粋したものを、「駐韓米軍犯罪根絶運動本部」が加筆して1999年に出版した「終わりのない痛みの歴史、米軍犯罪」から翻訳したもの>が詳しいです。
 
また<在韓米軍地位協定>全文もここに紹介されています。