2002年 増補改訂版
老いて生きる
〜映像を通して老年看護・介護を考える〜



編著:貞末麻哉子
編著:田中(高峰)道子


2002年初版
media EDIX


  編著:田中(高峰)道子による ●まえがき●
  編著:貞末麻哉子 による ●あとがき●

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増補改訂版「老いて生きる」まえがき●(全文)

  私は、老年看護学の中で、アルツハイマー病の高齢者に対する看護をどのようにして教えたらよいのか模索していたときに、アルツハイマー病とともに生きるご夫婦の記録映画『おてんとうさまがほしい』(1994年製作・16ミリ作品 )と『風流れるままに〜アルツハイマー病の妻と生きる〜』(2000年製作・ビデオ作品 )に出会いました。観終わった時、映し出された現実に衝撃を受け、映像でしか伝えられないものがあることを改めて感じていました。
 看護する場合、病気の人を常に生活の視点から捉える必要がありますので、基礎教育において、学生にはアルツハイマー病の患者だけでなく、その周りの人々との生活を含めて理解してほしいと思っています(アルツハイマー病の病態を正しく認識することは、言うまでもないことですが‥‥ )。そうした理解があって、はじめて看護のあり方が見えてくるからです。しかし、初学者の学生が、アルツハイマー病の症状を含めて、その病気の人の生活を理解するには、言葉による説明だけでは困難だということがわかっていました。
 二つの記録映画は、それらの理解を助け伝える内容と力を持っていると思いました。いや、それ以上のものがありました。アルツハイマー病の中核症状( 記憶障害や言語障害など )、それに伴う精神症状と行動障害( または周辺症状 )が出現し、急速に進行する様子、さらに、本人と家族の戸惑い、不安、悲しみ…などを言葉や表情に読み取ることができました。また、映像には、病気と闘い、明るく仲睦まじく暮らすご夫婦の様子が自然な姿で映し出されていて、ご夫婦が長年培ってきた生き方そのものを見る思いがしました。
  映画『おてんとうさまがほしい』には、1995年3月に『老いて生きる〜映画「おてんとうさまがほしい」を語る〜』という副読本が凱風社から出版されていました。この映画のプロデューサーである貞末麻哉子氏が長谷川 健氏の編集協力を得て作られたもので、その内容には、大きく分けて二つの柱がありました。ひとつは、アルツハイマー病の妻の介護をされた夫・渡辺 生氏へのインタビューから構成されたご夫婦の二人三脚の闘病記録。もうひとつは、渡辺 生氏と公私にわたって二十数年来の親交のある貞末氏が、映画制作における葛藤を背景に《 渡辺 生 》という人の生き様を書き綴った内容でした。貞末氏は、『老いて生きる』のまえがきの中で映画ができた経緯と副読本の意図を次のように書いておられます。

 半世紀以上を映画界で照明技師として生きてきた渡辺 生さんは、77歳(1995年1月現在 )の今も現役の照明技師である。茨城県日立市に生まれ育ち、家を守らねばならなかった渡辺さんの妻・坂本トミ子さんとの三十数年を経た結婚生活は、東京を中心とする渡辺さんの多忙な仕事の都合で永い二重生活が続いた。「そろそろ夫婦でのんびり暮らしたい」渡辺さんがそう思い始めた矢先、妻のトミ子さんに物忘れ、徘徊などの症状が現れ始めた。…中略…、やがてアルツハイマー病と診断されたトミ子さんは、入院生活を余儀なくされた。その時、生さんは16ミリキャメラを担ぎ、たった一人で撮影を始めた。トミ子さんの闘病生活を軸に、介護・看護に携わる人々の姿や、地域にかかわる人々の結びつき、患者を支える家族の問題を映画にしようと考えたのである。…中略…、佐藤真さんによる編集作業が始まった。その過程で、作品は、生さんとトミ子さんの夫婦像に焦点をあてたものへと徐々に姿を変えながら1994年9月、撮影開始より約3年の歳月を経て、記録映画『おてんとうさまがほしい』として完成した。…中略…、本書の目的は、映画作りの裏話を披露することでも痴呆問題をめぐる知識を広めることでもない。痴呆症を患う妻を抱えた一人の男がキャメラを握ることによって、いかに自分の運命と向かい合い、妻と生きようとしたか。おそらく痴呆の問題も、夫婦とは何かという問題も、そして映画における表現とは何かという問題も生さんの行動をたどったあとにこそ、より強く私たちの心に焼きつくに違いない。

 また、ビデオドキュメンタリー『風流れるままに〜アルツハイマー病の妻と生きる〜』については、その紹介文の中で、貞末氏は次のように書いておられます。

まだ60歳代前半だったトミ子さんに思いがけず痴呆の初期症状があらわれ始め、…中略… 日々変わってゆく妻の様子を、正確にホームドクターに伝えたいという渡辺さんの切実な想いがとっさに撮影を開始させたのでした。公開するということを目的にしていない分、映像は思わずこまやかな日常の峡部に入り込み、淡々としかし丹念に、トミ子さんの様子の変化が記録されてゆきます。そしてそこに寄り添うために生さんは幾度もの葛藤をのりこえてゆきます。(このホームビデオの映像は、『おてんとうさまがほしい』の中にも、一部挿入されました )

 以上のような経緯の中で、三つの作品は作られました。ご自分の気持ちや意図とは異なる方向へ作品が変わってゆく編集過程での渡辺氏の心の葛藤‥‥ 。一方、渡辺氏から編集を依頼され、ひとつひとつのフィルムが語りかけるものに心を傾け、映画として成立させようと真剣に取り組まれた制作スタッフの思い‥‥ 。想像を絶するその困難な作業は、本書の中で詳しく語られています。
 初版本の表題は、『老いて生きる〜映画「おてんとうさまがほしい」を語る〜』、 でしたが、1995年から7年を経た現在、渡辺氏ご自身が「 《 生きて老いる 》の心境である‥‥ 」と語っておられた言葉に共感して、『 生きて老いる 』という新たな表題で再版する計画がありました。しかし、最終的には、初版表題を生かすことを選び『 老いて生きる 』は残し、副題だけを、〜 映像を通して 老年看護・介護を考える 〜 に改訂しました。
 映画の副読本にとどまらず、本書を増補改訂して、老年看護・介護を学ぶ上での副読本の意味合いを込めて再編集させていただいた理由は、この初版本が、生きること、老いることについて普遍性をもつものであると考えたからです。 
 そこで、初版本において二つの柱で構成された内容は、そのままの形で残し、その編集に関わる重要な「まえがき」と「あとがき」も初版本のままに掲載してあります。ただし、挿入する写真の構成は大きく変えました。二つの柱を補足する形で掲載されていたインタビュー記事やコラム記事については、その一部を引用させていただきました。また、「アルツハイマー病」の解説と「これからの老人医療に向けて」は、ビデオ「風流れるままに」の第二部で、日立梅ヶ丘病院院長の岡田正勝先生が、トミ子さんの病状とともに詳しく話されていますので、本書には掲載しませんでした。
 三作品は、介護保険制度がスタートする以前の社会状況の中で記録された映画と副読本です。1994年に完成した『 おてんとうさまがほしい 』は、すでに全国350カ所以上で上映されています。2000年に始まった介護保険制度によって、アルツハイマー病の療養や介護に関する社会保障も少しずつ整備されてきております。現在、この映画の時の状況と最も変わってきたところは施設環境の面でしょう。それは、グループホームやユニットケアの方向で整いつつあります。しかし、在宅介護の支援体制や人材確保の面などは、まだまだこれからの課題と言えます。それらの課題を解決するためにも、また、看護や介護技術の向上のためにも、三作品はいろいろな示唆を与えてくれます。
 私は、昨年から「 老年看護学 」の教材として三作品を取り入れています。この教材による学生の学習経験については、資料として本書の最後に掲載させていただきました。今後は、この三作品による学習経験が《最も効果的に、そして、実り豊かに発展する》ことを念頭におきながら、教授法の検討を積み重ねていきたいと思っています。そして、できるだけ多くの方々が、これらの作品に触れて下さる事を心より願っています。

2002年7月        島根医科大学 医学部 看護学科 田中道子    


 増補改訂版「老いて生きる」あとがき●(全文)

 『 老いて生きる 』を再版させていただく機会が与えられた今、あらためて初版本を読み返しながら、渡辺 生さん、坂本トミ子さんご夫妻が共に生きてこられた星霜の重さをしみじみと感じている。
 この十年、病床にあってなお、トミ子さんは穏やかに社会貢献をされてきた。とりわけ、アルツハイマー病に対する関心と、新しい理解を、身をもって社会に喚起されたトミ子さんの功績は大きい。
 一方で、世は、まさに高齢化社会に向かって邁進し、人々の意識や地域社会での介護の在り方をはじめ、高齢社会に対する社会的な取り組み自体も大きく変わった。また、介護保険導入と前後して、介護産業が驚くべき急成長を遂げた反面、偽りの介護ビジネスは、あっという間にその社会的不適正を問われて沈溺していったのもこの十年であったろう。
 最近の生さんは、介護の事で意見を求められるときまって、「 世の中は、バリアフリー、バリアフリーといってどんどん平らな生活になるけれど、多少の段差があって、人の温かい手でお年寄りを支えながら介護することも大事だと私は思う 」と、熱弁される。介護する側にとって便利なバリアフリー社会へと世の中が総じて移行しても、内容が伴わなければ意味はない‥‥ 設備や制度をいくら云々しても、 〈人の心の温かさ 〉に優るものはないという生さんの心の声とも受けとれる。
 時を経ても、生さんの言葉は、どれもが確かな説得力を持ち続けている。しかし、若いうちは誰もが、やがて訪れるであろう 〈老い〉という命題から目を背けてしまい、謙虚に生さんの言葉に耳を傾けることは容易ではない。
 そんな生さんの言葉を、島根医科大学医学部 看護学科の田中道子先生が真摯に受け止めてくださった。老年看護学という専門分野で、生さんの活動が正しく理解され、力強い評価と共に、老年看護学の教材として三作品を活用していただけること。さらに、田中先生の激励を受け、こうして『 老いて生きる 』を増補改訂して再版できることは、生さんとトミ子さんのこの十数年にわたる歳月が報われるようで、言葉では書き尽くせないほどの喜びを、私は感じた。

 しかし‥‥、今年 2002年 4月28日 未明、トミ子さんはついに永眠された。享年75歳‥‥
 美しい新緑の日に、静かな旅立ちであった。
 トミ子さんのお見送りの時を、生さんと共に過ごしながら、この再版が間に合わなかったことも残念でならず、深いさびしさとかなしみを覚えた。しかし、花のように優しく微笑んでおられるトミ子さんのご遺体と向き合いながら、世界一幸福だった女性をお見送りしているのだという、ある種の深い感動もあった。そして、生さんとトミ子さんが世に送り出してこられた作品が、年月を通じて、新たに人と人との大きな繋がりを生んでいることを実感しながら、それらを大切に引き継いで行かねばならぬと、私は決意をあらたにした。

 2002年3月で85歳になられた生さんは、今、さらに新しい作品の自主製作に取り組んでおられる。日立市から車で一時間あまりの所にある茨城県久慈郡で、72年に一度しか行われないという伝説の「金砂大祭礼」の記録映画を撮影されている。しかも今回は心機一転、プロ用のデジタルビデオカメラを購入し、またしても新たなる挑戦をされているのだ。
 そのことをお話しすると、田中先生はこう語っておられた。
「 サミュエル・ウルマンの『 青春 』の詩のごとく、いつまでも情熱を持ちつづける生さんは、今も青春を生きておられるように思う。そんなところをトミ子さんは愛していらしたのでしょう 」 
 田中先生が、生さんに対するこうした深い共感のもとで、三作品をこれからの老年看護学で活用してくださるのであれば、共に手を携えて、高齢社会に役割を果たせるよう、私も、ささやかながら頑張りたい‥‥ 願わくば、本書と映画・ビデオの三作品が、老年看護・介護を学ぶ方々にとって、お年寄りとの素晴らしい出会いを体験する一助になれたら幸いと、心をこめて再版に取り組ませていただいた。   
 トミ子さんのご冥福を、心よりお祈りしながら、本書の再版を快くお許しくださった渡辺 生さんと、増補改訂にあたり、お忙しい時間を割いてくださった田中先生に、深く深く御礼申し上げたい。
 また、一九九五年当時、映画『 おてんとうさまがほしい 』の副読本として、『 老いて生きる 』初版本を出版してくださった凱風社の小木章男さん、装丁をしてくださった蔵前仁一さん、編集協力の長谷川 健さんらのご尽力があってこそ、いまこの改訂版があることは言うまでもない。
 皆様にも、この場を借りて心から感謝の気持ちをお伝えして筆を擱きたいと思う。

                2002年7月        映画プロデューサー 貞末麻哉子