訪問の家

 1986年、神奈川県横浜市栄区桂台に出来た『』は、社会福祉法人 訪問の家 の唯一の事業所でした。正確にいえば、 を運営する為に『 社会福祉法人 訪問の家 』をつくったのです。
 当時、“重度・重複障害児・者 (重症心身障害児・者)”と呼ばれる人たちの学校卒業後の日中活動の場は全国どこにもありませんでした。1972年に全国に先駆け重度・重複障害児の学校教育を実施した横浜市立中村小学校訪問学級の卒業生たちの進む道は、自宅での生活か、入所施設かの二つだったのです。折角学校での教育で一人一人がその人なりの生きる力をつけてきたのにそれを他人との生活(社会)のなかで試したり、生かしたり出来ないことを悔しいと思いました。卒業後の日中活動の場所がないのは、みんなに力がないのではなく、社会の人達がみんなには必要がないと勝手に決めているだけなのです。学校生活を友達や教師と明るい笑顔で過ごしている皆のその笑顔を消したくないと思いました。
 当時、法律のどこにも重症の人達の日中活動の場(通所施設)は保障されてなく、私たちの訴えでその必要を認めてくれた横浜市とどんな形でその場所をつくるか何日も協議しました。法律が無い場合、その運営費の全額を横浜市が負担するという方法で、横浜市独自の制度という方法での運営は可能です。しかし、対象が重症の人達の場合、人の手が多く必要になるのははっきりしています。全額市負担での運営は横浜市の財政にも負担が大きいということから、国の制度を使って、足りないところを横浜市の補助金で賄うということになりました。そこでいろいろ検討した結果、“知的障害者福祉法のなかの「知的障害者通所更正施設という国の制度で認可を受けることにしたのです。
 法律に則った施設を運営する場合、国からその運営を委託してもらう必要があります。国が運営を委託するにはそれなりの信用が必要です。そこで社会福祉法人という法人格をとる必要がでてきました。
 法人は最低6人の理事と2名の監事で構成された理事会が運営の全ての責任を負い、理事になる人達についても行政と相談して決めます。法人には資産も必要です。資産は、学校時代から10年間かけて学校や作業所の家族たちとバザーや物品販売で貯めてきた3500万円がありました。私たちの理事には私たちに縁の深いドクター、当時明治学院の教授(現、大阪大学教授)秋山先生などが快く引き受けて下さいました。
 法人の名前には私たちが最初の卒業生の進路先として港南区上永谷につくった地域作業所訪問の家 』という名称を、運営したいと考える通所施設名には二番目に中区牛坂につくった朋作業所から『』をもらい、神奈川県、厚生省の許可を願い出ました。1984年12月13日、厚生省から法人認可の通知がきた時の喜びは、今も心にはっきりと残っています。
 こうして1986年4月3日、 社会福祉法人 訪問の家 が運営する第一号の事業所 が日本で初めての重症心身障害児・者の通所施設として開所したのです。
 
母親代表の挨拶「まるで夢みたい、夢なら醒めないで」という言葉はそのままみんなの気持ちでした。薬玉が割れその中から「ありがとう」「がんばります」という垂れ幕が下がった瞬間のあの大きな拍手の中に、わかくさの会の方たちも加わって下さっていました。今でも目をつむるとあの時の感動がよみがえります。
 それ以来、『 社会福祉法人 訪問の家 』 は、必要に迫られ次々に事業を増やして来ました。そしてこれらの事業を適正に運営する為に理事の人数も増やし、評議員会も設けました。その一つ一つがなぜ生まれたかを簡単に説明したいと思います。

朋 診療所

 法人の二番目の事業所として1993年 『』の二階を改造して開設しました。
 これは年々健康状態が厳しくなり『施設内診療所』
(朋は開設当初から、施設内でメンバーの健康管理が出来るよう嘱託医と看護婦の配置はできていました)での限界が来たからです。
 主な理由は、1.施設運営経費のなかで賄うのが厳しくなった。 2.投薬や点滴などさらに深い医療行為が必要になった。 3.医療機器、処置室の必要性、 4.何よりも本人が大好きな朋に長く通ってこれる様に。 5.家族
(母親)のメンバーの健康への不安の解消 等ですが、できる限り家族と共に暮らしながら朋での生活を維持できたらと願ったからです。
 幸い嘱託医を勤めて下さっていた宍倉啓子先生が診療所長を引き受けて下さり外来診療も開始、現在は朋の人達より『径』や『さかえ活動ホーム』、『本郷養護学校』の人達など、地域の障害のある人達の患者さんの数のほうが多くなっています。
 障害のある人達の地域での生活を支える専門的な医療の提供の場はまだ不足しています。朋診療所で是非診てもらいたいと他の区から、遠くは緑区からみえる方も居ます。診療所の実績を見て2年前、横浜市が補助金を付けて下さり、日本一小さかった診療所を少し大きく改築することができました。横浜市の南部地域の障害のある人達の健康維持のために力になれたらと願っています。

 グループホームきゃんばす 』『 どりーむはんず

 グループホームも法人の事業です。診療所より2年後(1995年)、『きゃんばす』が誕生しました。
 みんなの地域生活は家族に支えられています。今は径の中の夢グループにいる人達の何人かはしばらく『地域作業所らんぷ』でパンの製作販売という活動をしていました。そのなかの一人のメンバーの父親が病気になり彼女は重症心身障害児施設に一時保護されるということがおこりました。施設に面会に行くといつも彼女が訴えるのは「パンを焼きたい」ということでした。折角楽しみや生きがいを見つけたのに、本人のせいではなく家族の事情でその生活が根こそぎ無くなることに愕然としました。家族の介護力が無くなっても本人の地域での生活が維持できる様に施設では無い生活の場をつくる必要に迫られました。
 国にグループホームの制度はありましたが、それは知的障害者のためのもので身体障害者には適用されないものでした。しかし幸いなことに横浜市には身体障害者もグループホームで生活出来る様に市独自の制度がありました。きゃんばすはこの横浜市の制度を使わせてもらっていますが、やはりきゃんばすの4人ほど障害が重い人達は少なく、この制度からだけの運営費では十分賄っていけないのが現状です。経済的には苦しくても、4人のメンバーの明るく楽しそうな表情から力をもらいながら職員一同頑張っています。 
 『どりーむはんず』は1998年に出来ました。こちらでも4人が元気に生活しています。こちらの人達の障害も重く、『きゃんばす』、『どりーむはんず』共に、その健康管理に朋診療所がバックアップしていることにどれほど助けられているかわかりません。二つのグループホームはベテランの職員1名が統括責任者としてつき、それぞれの職員のスーパーバイズをしています。

 1996年、磯子区につくった知的障害者通所更正施設です。
 定員50名。20名が重度・重複障害者、30名が行動障害をもつ重度知的障害者です。こんな複合施設は全国でも珍しいと思いますが、この施設の誕生の事情からこのような施設になりました。
 それは、朋が全市を対象にせざるを得ない事情から希望者が多くなり、方面別に同じような施設がほしいと市に要望していたことが発端でした。磯子地区に重度・重複障害者の施設建設が可能と聞き、訪問の家が運営して、南区、中区、鶴見区、西区方面の人達がそちらに通うことで朋への新たな希望者を受け入れたいと思ったのです。ところが、磯子区では知的障害者の親の方たちが以前から重い知的障害者の通所施設がほしいと市へ要望していたのです。市から複合ということを聞かされた時は驚きましたし迷いました。しかし磯子区の親の方たちが私たちに直接お願いしたいと訪ねて見え、お断りすることができなくなりました。
 重度の人達だとそれまでの朋の実践からある程度の運営の予測が立ちます。行動障害を伴う重度の知的障害の人達は初めてです。果たしてみなさんが満足出来る関わりができるかどうか不安でしたが、お困りの人達の気持ちは私たちがかつてそうであったことから十分理解する事が出来ました。思い切ってお引き受けすることにして生まれたのが集です。法人の4番目の事業です。

根岸ケアプラザ

 法人をつくった時、事業が増えることは予測しましたが、それは全て障害関係だと疑いも無く考えていました。ところが、市から、集は高齢者のデイサービス施設と合築だと聞かされたのです。驚きました。
 同じ建物を二つの事業に使うということは現在は横浜方式で当たり前になっていますが、当時はまだ珍しい頃でした。それでもいくつか例がありましたのでその運営の方法を尋ねて見ましたら、みなさんから同じ法人でないと難しいのではないかという助言をいただきました。集も新しいチャレンジの上に高齢者のデイサービスが加わります。新しいものばかりです。しかし同じ建物に他の法人と同居はやはり考えられませんでした。受けようと決心してからもそちらにどの職員を移動させるのか、誰を責任者にするのか悩みました。全く新しい試み、高齢者の事業には学校時代から私とコンビを組み、長年朋で事務長を勤めてくれていた本間さんに任せることにしました。以来、現場を見ながら本間さんは理事として根岸地区を担当してくれています。(結果的には、『根岸ケアプラザ』は『地区センター』と合築になり集いは隣地に単独施設として建設されました)

ふれあいショップさんぽみち

 『さんぽみち』は1996年、『栄区公会堂』の地下に出来ました。これはふれあいショップを栄区にも一つつくりたいという区と市との考えと障害関係の受託法人が栄区には訪問の家しかなかったということから生まれたものです。ふれあいショップは障害のある人達の就業の場です。軽度の障害の人達とは縁のなかった法人ですので不安はありましたが、栄区に是非一つふれあいショップをほしいと思っていましたし、これまで区民の皆さん、横浜市から多くの援助と支援をいただいてきた法人の社会的役割としてお受けしなくてはとも考えました。やはりなにかと戸惑うことの多い喫茶店経営でしたが、一生懸命な明るい店員さんたち、責任感あるサポーターさんたち、優しい多くのボランティアさんたちに恵まれ、区役所の支援も加わり今では区民の皆さんから温かくて居心地がよい喫茶店として愛されて来ました。水曜日に音楽家の人達の応援で定期化した「水曜コンサート」も評判がよく感謝しています。

 『』は横浜市が今後各区に一館つくっていく法人運営による大型地域活動ホームの第一館目としてみなさんの注目の中、1999年に朋の隣地につくられました。
 朋を運営する中で、私たちがほしいと熱望していたものに親の方たちの休養 =レスパイト=を何時でも、誰でも、気兼ねなくできる場所がほしいというものがありました。みんなの地域生活を支える為にまず家族を支える必要性が強くなっていました。そこで、6年前から、「地域生活支援センターの必要性」を幾つかの理由を挙げて区や市に申し上げてきました。その願いが大型地域活動ホームとして実現したのが径です。
 ただ残念なのは医療的なケアが必要な人達のレスパイトケアは実現されなかったことです。医療的なケアの必要な人達の宿泊には看護婦さんや場合によって医師が必要です。そこまでは無理だというのが市の見解でした。今径では径のもつ支援機能=ショートステイ・一時ケア=を利用する地域の人達も増え、連日3から4名、緊急時はいつでも対応しますので、5名宿泊という状態も出てきます。一方朋の医療的なケアの必要な人達は月に2回設定された朋のなかでナイトケアを利用している状態で、利用回数に差が大きくでてきたことがこれからの課題となっています。
 地域生活支援としての機能を希望しての径です。『径』は2001年から通称を『サポートセンター径』としてよりその働きを明確にしていきたいと考えています。

桂台ケアプラザ

 『径』がケアプラザと合築という話しを伺った時は根岸の場合のような迷いはありませんでした。これからの高齢化社会に今までの私たちの経験を役立たせたいと考えたことと、一番に、今までお世話になった桂台地域の人達へ恩返しがいくらかでも出来ればという思いが最初からあったからです。幸い朋で「同じ釜の飯を食ってきた」職員の何人かが幹部としての役割を担ってくれました。ケアプラザと径、職員も利用者さんたちも、ボランティアさん達も、赤ちゃんを連れた若いお母さん方も、自治会の方も、民生委員の方々も仲良くこの建物を利用して下さっていることに感謝しています。

朋 施設分場 CAN

 『CAN』は最初『地域作業所らんぷ』と同様法人がバックアップする作業所として5年前に出来ました。
 大きな施設だと個々人の個性を生かすには難しいという側面がどうしても出てきます。そこで『らんぷ』も『CAN』も少人数での活動を展開したいと試みたグループでした。
 『CAN』は缶の回収という活動で地域の人達との交流も多く、楽しく活動をしていたのですが、『径』ができて『らんぷ』が径に活動拠点を移したのをきっかけに、地域作業所としてではなく、法人が直接的に支援しやすいように更正施設朋の分場(更正施設、授産施設には10人から20人までの小規模の分場がもてるという制度があります)に変わる手続きを続けていました。場所はそのままで分場にしてもよいとの許可を2000年度にいただき、新しく法人傘下の事業所として出発しています。


 上記沿革は、映画公開当時(2003年当時)までのものです。

 最新の法人沿革は、最新の法人沿革(法人の公式ホームページより)をご覧ください。



製作:「朋の時間」製作委員会
配給:「朋の時間」上映委員会

(2003年度公開作品/ビデオ・長編ドキュメンタリー/カラー/123分)



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社会福祉法人 訪問の家 の公式ホームページは




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2005年より、マザーバード・ファクトリーが管理しています。


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