〜風の通り道〜
第1回
ゆきさん

 「ゆきは私が独りぼっちで寂しくないように『朋』を残してくれたのかもしれない」
 ゆきさんのお母さんが言いました。ゆきさんのお母さんは韓国の人です。10代で日本に来て20代でゆきさんのお父さんと結婚、2男1女をもうけました。
 ゆきさんと私たちは2年前に出会いました。彼女の病名はニューマンピックという大変珍しいものです。発症は彼女が中学2年生。この病気は身体と知的な機能を急激に衰えさせます。ゆきさんも高校は養護学校、さらに卒業時には経管栄養となり、『朋』への通所を希望してきました。お母さんは「あれよあれよと機能が低下していき、ゆきの状態に慣れるより追っかけるのが精一杯だった」とおっしゃいました。「名前は?」の問いに「ゆき」とゆっくり答えたゆきさん。「誰が一番美人?」というと一生懸命自分を指差そうとしたゆきさん。「クリスマスパーティーでは誰とパートナーを組みたい? 」と聞くと何度聞いても同じ男性職員を目で追ったゆきさん。「OK」をまばたきで伝えていたゆきさん。そんなゆきさんがまるで映画の画面のように私たちの前を通り過ぎていきました。目で追った職員とパートナーを組んだ美しいゆきさんが、しっかりと彼の目を捕らえている写真が残っています。
 パーティーの後「楽しかった?」というお母さんの問いに大粒の涙をこぼしたゆきさんを見て「ゆきの心はまだ動いている」とお母さんも泣きました。
 「朋の成人の祝いには着物を着ようね」と話し続けたお母さんに応えるように美しい着物姿の成人式を終えて9日目、彼女は亡くなりました。
 ゆきさんは『朋』に1年9ヶ月しかいませんでした。後半は長い入院生活が続きましたから、『朋』で過ごした時間は「正味2ヶ月位だった」とお母さんは言います。とてもそんな短い時間だったとは思えない幾つも幾つもの彼女との場面がフラッシュバックのように現れます。
 彼女が亡くなってお母さんは日中独りぼっちになりました。泣いてばかりの毎日ではだめだよ、と『朋』の先輩が誘い出しました。『朋』でゆきさんの話をいっぱいしながら、お母さんは少しずつ元気になっていきました。
 お母さんの母親と姉たちはアメリカと韓国です。日本にお母さんの身内は家族以外誰もいないのです。そんなお母さんを心配してきっと「ゆきは『朋』に私をつないでくれた」のだとお母さんはいうのです。
 優しい人と人との関係という財産を私たちに残した「ゆきさん」と一緒に、これからも歩きたいと思っています。



製作:「朋の時間」製作委員会
配給:「朋の時間」上映委員会

(2003年度公開作品/ビデオ・長編ドキュメンタリー/カラー/123分)



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