「普通に死ぬ〜いのちの自立〜 」
重い障がいがあるわが子のために、静岡県富士市 ・富士宮市に親たちが開所させた通所施設<でら〜と(富士市)><らぽ〜と(富士宮市)>の利用者であった小澤裕史さん
・美和さん兄妹は、祖父母の介護のため両親が実家に引っ越すにあたり、いち早く、地域でNPO法人が運営する民間のグループホーム<陽だまりの家>で自立生活を始めた。ここまでが前作。
「普通に生きる〜自立をめざして〜 」の続編である本作 「普通に死ぬ〜いのちの自立〜 」は、美和さんが生まれた年にスキーを始めた父 ・小澤 充さんが、スキーのテレマーク姿勢を競う大会に出場するシーンから始まる。
「普通に生きる〜自立をめざして〜 」での小澤さんご一家
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スキー大会で滑走中の小澤 充さん
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小澤 充さん・小澤ゆみさんご夫妻
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世は当時、まだケアホームの名でグループホームが全国各地で盛んに作られてゆく流れの中で、でら〜と ・らぽ〜と利用者の親御さんの多くがグループホームの建設を希望され、運営母体である社会福祉法人インクルふじでも、その期待に応えるべく着工を計画した。
当時、でら〜との副所長だった坂口えみ子看護師長が土地と建物を購入し、ご自身はその2階で生活をしながら起ち上げを支えてくれるという心強い協力を得て、法人はその建物の1階を借り受け、改装工事を行って、2012年4月、待ち望んだ最初のグループホームが完成できることになる。入居者は5名。
グループホームの名称は、坂口さんの愛称にちなんで<Good Son =ぐっさん>と名付けられた。
当時 でら〜との副所長 坂口えみ子看護師長(ぐっさん)
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インクルふじが運営するグループホーム「GOOD SON」に入居を決めた利用者さん5名
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入居を決めたひとり、吉野将平さんのご両親は50歳を過ぎて、身体の大きい長男 ・将平さんの在宅介護が厳しくなってきた現実に加え、将平さんには別の生活介護事業所に通う姉も居て、いざとなった時では遅い、チャンスをもらった今だ!と決心したが、お母さんは少しだけ「まだ早いんじゃないか ・ ・ ・」と、自分の手元から将平さんを手放す逡巡を語った。
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「GOOD SON」に入居を決めた吉野将平さんのお宅 母 吉野早登美さんと、父 吉野友和さん |
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また、小澤裕史さんは、3年間お世話になったグループホーム<陽だまりの家>から<ぐっさん>への引っ越しとなった。
<陽だまりの家>の代表 村松輝昌さんはその思いを語る。
「NPO法人 くじら が運営する「陽だまりの家」代表 村松輝昌さん
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2012年4月、法人にとって初めての試みであったグループホーム「GOOD SON」は混乱の中で開所したが、半年も経つと生活は落ち着いてきた。2階に住み、支えてくれた坂口さんの功績は大きかった。
その頃、でら〜とでは新たな問題が起こっていた。
設立当初からの利用者である向島育雄さん(当時27歳)の母 ・宮子さん(当時68歳)が、卵巣がんと診断され、治療に専念することをを余儀なくされてしまったのだ。
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向島育雄さん(当時27歳)
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向島竜己さん・向島みや子さん(当時68歳)
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母とふたり暮らしだった育雄さんは在宅生活の場を失ってしまう。しばらくは富士宮市にある静岡富士病院の一般病棟に宿泊しながら、日中はでら〜とに通う毎日を過ごしていた。しかし、病棟(ショートステイ)の利用者が通所の送迎サービスを利用できる制度はなく、育雄さんの送り迎えはでら〜との看護師
・松村さんが自宅との通勤の往復で無償で引き受けてくれていた。また、一般病棟での夜の生活は過酷だった。
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一般病棟に宿泊(ロング・ショートステイ)し、日中はでら〜とに通ったが ・ ・ ・
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育雄さんの母 ・宮子さんは、治療が必要な状態になるまで、育雄さんの先の生活のことについて考えたことがなかったと話す。できれば法人に2つ目のグループホームを早く作ってほしいと希望していたが、その数年先の完成までショートステイを繋ぐことは難しく、育雄さんは結局、重い障がいのある人たちが入所する静岡富士病院の入所施設(さくら病棟)に入所することを余儀なくされた。結婚して京都に暮らす次兄
・向島竜己さんも、ひとり暮らしの長兄も、働きながら育雄さんの在宅生活を支えることは難しかったのだ。そうなると、これまでのように育雄さんがでら〜とに通所して日中の時間を過ごすことはできなくなる。
結局、通い慣れたでら〜との仲間たちに見送られて、育雄さんは入所施設で生活をすることになった。
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向島育雄さんの退所式(でら〜とにて)
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宮子さんとは子どもたちが小さな頃から親しかった、でら〜との設立代表・小沢映子さんは、管理され、自由のない暮らしを強いられる入所施設はノーマライゼーションの精神に反すると、重い障がいのある長女
・元美さんが幼い頃に痛感した。「できれば地域で暮らさせたい」「どんなに重い障がいがあっても、本人もその親も、誰もが普通に地域で生きられる社会をめざしたい」という信念のもと、富士市の市議会議員となり、10年の歳月をかけて仲間を集めて社会福祉法人を起ち上げ、2004年にでら〜とを設立したのだ。元美さんと一緒に養護学校から共に歩んできた育雄さんが施設入所になってしまったことに対して、小沢さんは無念の思いを語る。
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向島みや子さんと向島育雄さん、入所病棟での別れ
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向島みや子さんと、でら〜との設立責任者小沢映子さん
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手術が決まって、入所した育雄さんに一度会いに行けたきり、治ったら会えることを心の支えに辛い治療にも耐えて頑張っていた宮子さんの願いは、育雄さんが今までどおり、でら〜とに通いながら地域で暮らせることだった。
小沢映子さんは、自宅を改装して入所施設から育雄さんを退所させ、重度訪問介護というサービスを利用して共に暮らすことを決意した。 医療的ケアが必要な育雄さんだったが、映子さん宅に引っ越して以来8ヶ月、一日も休むことなく、元気にでら〜とに通った。
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小沢映子さんの英断で、映子さんのご自宅で暮らすことになった 向島育雄さん、
入所施設を退所し、地域での生活を取り戻す。
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地域住民の反対があって、すっかり着工が難航していたインクルふじ運営の第3の通所施設の工事が始まった頃、あらたに沖 茉里子さんの母 ・沖 眞須美さんが、がんで倒れてしまった。
6年に渡って熱心に建設運動に取り組み、ようやっと翌年春には開所が決まった、その矢先だった。
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母 沖 眞須美さん、長女 沖 侑香里さんと 次女 沖 茉里子さん
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医療的ケアが在宅生活の柱となる次女の茉里子さんは、生活の場を突然失ってしまうことになった。通所施設を主たる業務とするインクルふじではどうにもならず、富士病院への入所が決まってしまいそうな時、夫の待つ自宅のある岐阜に定年で帰ることが視野に入っていた坂口さんだったが、富士にもうしばらく逗まることを決意して、グループホームの2階にある住まいで茉里子さんを引き取れないかと提案する。進行性の難病である茉里子さんが一日も早く地域生活を取り戻せるようにと苦慮の上の決断だっだ。親さんが在宅で行っている医療的ケアは職員みんなで担ってゆこうというのが、坂口さんの信念だった。
茉里子さんの進退をめぐり、法人内では熱心な話合いが持たれたが・・・
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しかし、さまざまな支援上の都合や制度の問題を乗り越えられず、施設側は支援不可能と判断。茉里子さんの姉 ・沖侑香里さんも自立していた名古屋から帰郷して妹の新しい地域生活を望んで奔走するが、医療的ケアがあると「在宅生活を続ける」ことがいかに難しいか、また「地域で生ききる」ことができない現実に悔し涙を流す。。
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坂口さんの思いはなかなか厳しい現実に届かず、心が塞ぐ毎日だった。
そんな坂口さんを兵庫県にお連れした。会ってほしい人が居たのだ。
そこには、伊丹市で<しぇあーど>を率いる李国本修慈さんや、西宮市で<青葉園>を率いてきた清水明彦さんらが居た。
この方たちの活動の実践を見て、坂口さんに元気を出してほしかった。
ここでは、それまで坂口さんや小沢さんらが理想と考えていた、ご本人主体の支援が、きめ細やかに展開されていたからだ。
伊丹市で<しぇあーど>を率いる李国本修慈さん
週5日をしぇあーどで暮らす藤原良太さん しぇあーどの2階で暮らす国政宏志さん
西宮の青葉園では、医療的ケアが必要な重症心身障害児者と呼ばれる人たちの多くが、市営住宅やマンションなどで自立生活を繰り広げていた。年老いた親を看取り、その後もさらに生まれ育った地域で自立生活を続けていた。一見して意思表示を汲み取ることが難しく見える障がいのある方々の権利擁護と、地域に拓く暮らしの創造を見事に構築し、障がいのある人たちと、地域で一緒に暮らし、共に支え合うことに、支援をする立場にある人たちも同じ立場で取り組んでいたのだった。
西宮市で<青葉園>を率いてきた清水明彦さん
西宮市の市営住宅で一人暮らしを続ける谷野千栄美さん マンションで友人二人と暮らす沖田典子さん
また西宮の五味篤子さん宅もお訪ねする。こちらで暮らす 医療的ケアの重い長男 五味信一さんの在宅生活は、12年にわたって訪問医に支えられていた。
五味信一さんとヘルパーさん 母・五味篤子さん
信一さんの在宅生活を12年にわたり支えてきた訪問医 川ア史寛先生
富士に戻った坂口さんは、勇気を取り戻して茉里子さんの新しい地域生活を構築するためにひとりで奔走する。小沢映子さんも、地域での訪問医療・訪問看護の道筋を構築しながら全力で坂口さんをバックアップする。
そして春、ついにインクルふじ3つ目の通所施設<あそ〜と>も開所し、茉里子さんは ・ ・ ・。
ひとりで奔走する坂口さん 成人を迎えた 沖 茉里子さん
少々の熱では入院することなく、在宅で暮らすことが可能になった育雄さんの笑顔
茉里子さんの笑顔
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