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以下は、10月7日に行われた世田谷雑居まつり「いち」の場で開かれた写真展に寄せて、フォトグラファーの山本英夫さんが書かれた挨拶文を転載させていただいたものです。
写真展 『平和への眼ざし―ミニ・スペシャル』
《ご挨拶》 山 本 英 夫
【“9月11日”という新たな事態の中で】
今、不気味な気配がこの世界を覆っている。9月11日にアメリカ合州国で起こったハイジャックによる同時多発攻撃。いまだに崩壊したコンクリート等の下に埋もれている数え切れぬほどの肉片。人の生命はかように軽く、つぶされてしまったのだ。誰が、こんな形で我が身の終末を迎えると想像していただろうか? 「世界の超大国」アメリカ合州国の権力(スパイ組織・盗聴法・特殊部隊・世界一を誇る軍隊等の武力組織を束ねる)でさえ、数日前に「韓国、日本の米軍基地周辺で起こるかもしれないテロに警告」を発していたに過ぎなかったのだ。
ブッシュ米国大統領は「国家的威信」を木っ端微塵に粉砕されてしまったが故に、「報復戦争」を叫んでいる。また小泉首相は即座に「米国への全面支援・協力」を約し、10月5日には「テロ支援特別立法」等を閣議決定した。これらの諸措置は明々白々の憲法(第9条)違反であり、ドサクサに紛れて、米国との「集団的自衛権」の発動となる立法化等を押し進めようとしている。こうして自衛隊がパキスタン等に派兵され、騒乱の中で自衛隊員が殺されることもありえよう。そして戦後56年に及び他国民衆を殺したことがなかったという誇っても良い記録は、終止符をうつだろう。 また小泉政権が「テロ支援特別立法」=参戦法案を制定し海外派兵を行えば、この日本も「テロ」の標的にされかねない。それを黙認した日本の民衆も、「日本国民」として扱われ標的にされかねない。今度という今度は「対岸の火事」では済まされまい。
さらに最悪のシナリオは、紛争のグローバルな拡散(世界化)、不安定化、核兵器の使用、石油資源や食料の枯渇(日本等への輸入が中断されるかもしれない)…。
【想像力を働かせ、平和への眼ざしを!】
前口上が長くなってしまった。雑居まつりの「いち」の場で、写真展をやらせてくれるとの話になっていたが、まさかこんなことになろうとは…。当初の予定では、この5月に開催した「平和へのまなざし」のミニ版のつもりだったのだが…。この事態の中で大幅に変更を余儀なくされてしまった。お陰で「ミニ・スペシャル」とした。慌ててこの9月撮影分のものを追加した。
改めて考えたい。平和とは、武力行使はもちろん、武力による威嚇が行われていないばかりではない。兵器が生産され、輸出入されてしまえば、それは戦争の温床になる(アメリカ合州国は、80年代のイラン・イラク戦争の際、散々イラクに武器を売り込んだ。またソ連のアフガン侵略戦争の際に、タリバーン等に武器を提供・売却した)。盗聴されず通信の秘密が脅かされぬ状態ばかりではない。メディアで重要な情報が流され、官庁等の情報公開が進み、ミニコミが旺盛に流通することも大切だ。現状は全てが危機的であり、「対テロ」を口実に一挙に管理が強化されている。
私達は世界中にはびこっている不公平・富の偏在をどうするのか。現に何故「難民」が出ているのか?飢えや病気。さらに戦争となれば、その上に重爆撃。劣化ウラン弾(放射線障害)の嵐。そして不信と憎悪がエスカレートする。その隙に大国の利権が確立されていく。こうした世の中の成り立ちは、私は願い下げにしたい。武力で平和はつくれないのだ。
【人は誰でも、生きていなければ始まらない】
人の生命の重さはさまざまであって、当然なのか? 例えば、アメリカ合州国国民とアフガン民衆との経済的不平等は仕方がないのか?
そうではあるまい。人は誰でも、生きていなければ始まらないのだ。だとすれば、一方のみが「豊か」になり、他方は「貧しく」なり、殺されるような世
界の成り立ちは、おかしい。沖縄に伝わる「命どぅ宝」の心を私も共有化しながら、撮影し、生きている者の喜びを伝えたい。写真を平和を探るツールとして活かしていきたい。
(2001年10月6日)
[ 以下資料 ] 2001年5月に開催した写真展の挨拶文
(上記の雰囲気との違いを読みとってください)
写真展 『平和への眼ざし』
《ご挨拶》 山 本 英 夫
ご来場戴き誠にありがとうございます。
今回の『平和へのまなざし』は、私が反戦・平和運動に関わる中で、運動と併走しながら撮り続けてきた作品群から選んだものです。この写真展は、今こそ、人々の平和への思いを真っすぐに表現しなければとの思いから企画・構成したものです。どれだけ成功しているのか、自信はありませんが、人々の怒り、笑い、気概、連帯といったものを少しでも感じて戴けたら幸いです。
ところで私は、かっては自然写真を主に撮っていたのですが、いつの間にか追っかけの対象が同じ飛ぶものでも、野鳥から戦闘機になっていたり、撮影現場が自然のフィールドから基地・軍隊の現場に変わっているなど、しばしば寒々とした気分に捕らわれます。
しかしその訳は単なる私の心変わりからではありません。今回、改めてこの10年ほどの写真を見直しましたが、日本の軍事化の進展が、基地や軍隊を私達の身近に押し出してきたことを実感しました。1991年の湾岸戦争、92年のPKO法(国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)、そして99年の周辺事態措置法など。さらに昨年の石原都知事による防災訓練は、自衛隊(演習)が市民生活の中に浸透してきたことを如実に見せつけてくれました。
また沖縄で95年9月4日に起こった米海兵隊員による少女強姦事件に衝撃を受けて以来、私は年に何回か、沖縄にカメラを担いででかけています。また自衛隊の演習や米艦船が民間港に入港する現場等にも可能な限り出かけ、地元の平和団体の方々のご協力をえながら、撮り続けています。
この世の中で、誰であれ、生命を蹂躙し、個人の幸福を追求する権利を脅かすことは、許されないと私は考えます。国(天皇)の名による殺人であれ、許されるものではありません。これは何故写真を撮るのかという設問(報道写真に限らず)における基本中の基本だと思います。
これからも私は、こうした思いを掘り下げながらあちこちを歩き続け撮り続けます。過去に起こった歴史と世界各地の現実に向き合い、表現の自由を侵害されないよう頑張ります。ありがとうございました。再見。
(2001年5月1日)