病院の長い廊下で坂本トミ子さんへキャメラを向ける夫の渡辺 生さん。
トミ子さんが車のウィンカーを消し忘れたり、同じものばかり買い物してくるようになった頃、
生さんはそんな妻の様子をホームビデオに収め始めた。
それは後に、16ミリのムービーキャメラに持ち替えられてゆく。
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「私もほんとはね、自分の家内がああした姿になったのを、撮りたくないのは当然ですよ」
「でも、何か、キザな言葉で世の中のためとか、何か、
下手ながらでも撮りたいなあという気がしましてね....」
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妻の痴呆という突然の事故に遭遇したような出来事に、生さんの心は揺れ続ける。
キャメラは寄せては返す波や沈みゆく太陽に向かい、
時には新婚当時の想い出や通訳で活躍していた当時のトミ子さんの写真をめくってゆく。
1991年8月、トミ子さんはアルツハイマー病と診断され、12月13日、
夫婦は仏壇に手を合わせ、日立梅ケ丘病院にでかける。
入院したその日、病棟ではクリスマス会が行われていた。
入院十日後、トミ子さんは急激な生活の変化によって、やつれ、
すっかり変わり果てた姿で生さんの前にいた。
夏祭り、雨中のバスハイク、芝生でのボール遊び、そんな病院の生活を通じて
生さんの思いは、看護婦さん、食事作りのおばさん、患者さん同士のドラマに向け始められる。
「惚けたら子供みたいになるって、それは嘘ですね。
やっぱり人生の長い色んな生活してこられた方がこういう病気になっても、
私は決して子供とは思いませんよ。
やっぱりひとりの社会人としてみなくちゃあいけないと思いますよね」
入院一年後の大晦日の朝、トミ子さんは一年ぶりに帰宅する。
自ら作った紙人形の出迎えにもかかわらず、
何故か怯え始めたトミ子さんは、すぐさま病院に舞い戻る。
再び一緒に暮らすことを夢見ていた生さんは、困惑を抱え妻を見つめ続ける。
トミ子さんは「オヒサマガアルヨ...」と、つぶやく‥‥‥。
病院や在宅看護のスタッフ、患者さんととの介護を見守る家族、
それぞれの姿にキャメラが寄り添ってゆく。
介護される側の家族の気持ちに身体を刻み込んできた生さんは、
痴呆の身内を抱える家族の会(そよかぜの会)発足に奔走し始める。
「なおさら夫婦というものは、どっちかが倒れたときはお互いに助け合ってゆくのが、
夫婦なんだと思いますよ。
若いうちは手を握ったりキスをするのが愛情かもわからないけど、
年をとるにしたがって、どっっちかがもう先どうなるかわからないからって、
やっぱりその時こそホントの夫婦じゃないの.......」
入院して二年後の初夏、トミ子さんは高熱を出して寝込んでしまう。
それがきっかけで歩けなくなり、車椅子の生活となる。
病院で過ごす日々、生さんは車椅子姿のトミ子さんから想い出を紡ぎだす。
生さんとトミ子さんの二人三脚の生活。
言葉を越えた絆を深めてゆく。
そして、トミ子さんの確かな存在とそのぬくもりを握りしめて、生さんはひとつの願いに達する。
「誰もが生き生きと暮らせる温かさ」という.........。
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