2020年が明け、猛威を振るい始めた未知なる新型ウイルスによって人類はあらたな生命の危機に瀕し、世界は今も数多の「死」を経験する事態に陥っています。
本作の完成を目前にして余儀なくされたコロナ自粛の最中、『普通に死ぬ』というタイトルの是非をわたしは再考しました。前作『普通に生きる』から約10年、撮影中から『普通に死ぬ』というタイトルをイメージしていましたが、実際に重い障がいのある人たちの生活には、あまりにも「死」が日常的にありました。それに重ねてコロナ禍により、誰の前にも「死」が顕在化することとなって、『普通に死ぬ』というタイトルが、多くの人の心や状況を傷つけることになってしまうことをわたしは恐れたのです。
しかし、訪れた災禍による新しい生活様式は、「死」への恐怖や不安だけでなく、生きづらさのある人々の不自由さや不便さを、誰にも等しく強くイメージさせる機会となって、人々の「痛みを知る」視点を変化させたように思います。「死」は決して忌み嫌うべきものではなく、むしろ正面から描いてこそはじめて「生」の意味と向き合えるのではないか。この作品に登場する人々の優しく強いちからを借りて、そう主張する本作の使命に正直に、タイトルは『普通に死ぬ』に決める勇気を得ました。
前作のテーマは「自立」でしたが、本作のテーマにも「自立」があります。「自立」とは「従属や支配から離れて他者の助力なしで、自分の力で独り立ちすること」と一般的には理解されていますが、では重い障がいのある人の「自立」とは?
人が、ほんとうの意味で「自立」するとは、「いのち」として立つ、立たせる、立ち合う、ことなのではないか。 それは、互いの「いのち」を骨身から尊重し合ってこそはじめて成し得るのではないか。 この映画にはそんなふうに「生」を支える人たちが登場します。支えられる障がいのある人たちもまた、多くの人々の人生を支えています。誰もが対等に「生き合う」ことができる場所。そんな場所をこの映画では探しました。