撮影日誌   - 4日目 -




 何かが起こっている場所には必ず闘っている人たちがいる


 保護者の熱意と努力で社会福祉法人を立ち上げ、2004年(平成16年)春に、重症心身障害児(者)の通所施設として富士市に開所したでら〜とは、2006年10月から、新法による事業移行を行い「生活介護事業所 でら〜と」に変わった。
 利用者も事業法人にも変化はないけれど、新しく施行された『障害者自立支援法』によってこういった施設や障害当事者の人たちにどのような変化が訪れたのか。
 ちょうど2003年(平成15年)からノーマライゼーションの理念に基づいて導入された『支援費制度』は、施設・事業体系等に多くの混乱があったにせよ、障害者が自立することを地域や自治体が支えていくことを進めるために大きな飛躍のきっかけを作った。
 しかしそこから3年。あらたに施行された『障害者自立支援法』にはさまざまな批判が多い。
 清水建夫弁護士による『ノーマライゼーションに逆行する「障害者自立支援法」』を参考にされるとわかりやすいと思う。
 わたしも勉強しながらなのだが、まさにでら〜とは、この時代潮流の中で生まれた。
    


 2006年12月12日・13日、この二日間の撮影は泊まりにした。
 ★ひとつには渡邊雅嗣さんの生活をしっかり追うこと。
 ★でら〜との施設長・小林不二也さんにインタビューし、施設設立経緯をもう少し知ること。
 ★小澤映子さん宅で、長女・元美さんとの生活を撮影させてもらうこと。
 この二日はこの3点に目的を絞った。




■2006年12月12日

 朝一番からどうしてもはずせない会議があり、出発は昼少し前になる。

 午後2時にでら〜とに着いて、まずは、撮影はせずに、大切な運営会議に参加させていただく。
 埼玉県立大学保健医療福祉学部看護学科の善生先生(富士宮市出身)が、今日は久しぶりの里帰りに合わせてでら〜とに来られた。
 実は、でら〜ととわたしを出会わせてくださったのがこの善生先生。拙作「晴れた日ばかりじゃないけれど」のでら〜とでの上映会を仕掛けて下さった方なのだ。
 それ以降何度かメールだけでやりとりをさせていただいていたのは、善生先生がしばらく体調を崩されて治療に専念されていたためで、実はお目にかかるのはこれがはじめて。

 小林施設長と旧知でもある善生先生は、アドバイザーとしてでら〜とを支える外部ブレーンのひとりとして会議に参加された。新しい「障害者自立支援法」の施行にもとづいて、現場にはさまざまな混乱がある。その中で、でら〜とは、施設内の増築が始まるところだ。そして新たに、富士宮市に同じ法人で二番目の施設建設を予定しているのだ。
 そうした経緯の中でさらに複雑になってゆく施設運営に、善生先生のような専門家の意見やアドバイスが大きく反映されていることがわかる。こうした会議に参加させてもらうことは、実状を正しくつかむためにも大切。今後、この作品にも、善生先生には監修者として関わっていただきたいという気持ちがさらに強くなった。





 午後5時、渡邊雅嗣さん宅へ移動。
 今日はたっぷり雅嗣さんの就寝まで撮影させてもらう。

 今夜の夕食介助はベテランの渕野さん。カメラが夕食時に部屋にいることにも雅嗣さんが少し慣れてくださったようで嬉しい。そしてどのヘルパーさんたちも、撮影を快諾してくださるので助かる。
 ヘルパーさん「あらぁもっとちゃんと化粧してくるんだったぁ。綺麗に撮ってね」
 わたし「まかせてくださいっ! それなりに綺麗に。ハイっ!」
 ヘルパーさん「(苦笑)」
 こういうやりとりも、雅嗣さんは声を出して笑って楽しんでくれている。
 今日はDVDで映画「あずみ」を観ながらの夕食。(渡邊さんは「あずみ」を演じる上戸彩さんの大ファン。部屋にも大きなポスターがあり、携帯電話の待ち受け画面も上戸彩さんの笑顔)
 渕野さんとの楽しい会話で、食事の時間があっという間に過ぎる。後かたづけをさっと済ませて渕野さんは一旦去り、一時間ほど時間をおいて就寝までの介助に出直して来られる。
 その間に、少し、お母さんとの同居に対する雅嗣さんの心情について話してもらう。

 実際、ひとりにしておくと食事もろくにとらず、そうやって身体を壊したことを思うと母親のことは心配でしかたないこと。しかし、本音を言うと数々の煩悶があること。
 前日記にも書いたが、
 「一緒に暮らし始めたら、ケンカばかりの毎日になる」
 「きっとボクは、言うことがきけないのなら出て行け、と母に言ってしまうと思う」
 であろう自分の変化が雅嗣さんには予測できるのだ。まだ核心には触れる段階ではないと思うので、多くは聞かない。ただ、この日の取材で雅嗣さんは、

 「母と同居することになったら、ヘルパーさんたちとの会話の内容が、明らかに変わってしまう」
 と言った。
 わたしはまだ数回しか食事介助の様子を撮影していないのだが、にもかかわらず、ヘルパーさんとの食事の際に繰り広げられるこの楽しい会話の時間は、いったい何だろうと不思議にさえ思った。
 およそ四十も半ばを過ぎた健常者の独居生活には、こんな豊かな夕食の時間はあり得ない。
 その日の雅嗣さんの体調や気分に合わせて、細やかに会話の内容を構築していくヘルパーさんたちの技術もさることながら、ヘルパーさんたち特有の事業所内の女性社会の関心事などにうまく話を合わせて、こちらもうまく会話を盛り上げていく雅嗣さん。また、その関係には身体介助もひそかに横たわっているのだから、私などには想像もつかない気遣いが隠れているのだろう。そうした関係構築には、40年近くもすべての介助を任せてきた母親には、到底、正面きって見せづらい雅嗣さんの成熟した男性としての姿があるのではないか。

 そんなことを思っているうちに、ふたたび渕野さんがやって来る。
 最近の雅嗣さんは、寝る前におやつを食べることが日課になっているそうで、その日はおせんべいとコーヒーを食べてから歯磨きをして就寝の準備に入る。渕野さんは、温めてあった隣の6畳間に布団を敷き、採尿を済ませると着替えを手伝い、残った片付けや洗濯や、翌日の支度などで台所に張り付いてしまう。

 雅嗣さんはすっかり寝支度が整うと、布団へ運んでもらうのを待っているのかと思いきや、一人でとてつもない時間をかけてごろっと寝返りを打つ。何をしているのかと思うと、またひとつ寝返って一回転し、隣の部屋との境のふすまに近づいていく。ふすまはしっかり開けきっておらず、そのまま転がってもすんなり転がって布団に入れる様子でもない。もしかして自分でこのまま布団まで行くのか・・・、と私が気づくのに数分かかった。つまり二回転ほどしてふすまに近づくのにすでに数分が経過したのである。
 ヘルパーさんは台所で忙しいのか手を貸すそぶりもない。そして10分ほどかかって、途中のふすまも上手に身体をくねらせながら足で開け、雅嗣さんはやがて布団にたどり着いた。
 たどり着くとヘルパーさんは雅嗣さんに布団をかけ、10時半までたっぷりと作業をこなして、「それではおやすみなさい〜」と雅嗣さん宅のすべての電気を消して鍵をかけて帰った。
 私もヘルパーさんと一緒に部屋をあとにし、これから朝まで暗闇の中にある雅嗣さんの長い夜を思いながら、予約していたホテルに向かった。
 

 番外日記<ホテルのこと>

 車中泊する予定だったけど、マザーバードの敏腕経理課長なんしーの粋な計らいでホテルに泊まれることになった私^^。
 なかなかよいビジネスホテルでした。一泊5000円朝食付(駐車代500円)文句なし。部屋も狭くないし、机にイーサ挿せるからネット環境も問題なし。空気清浄機付。暖房も異常乾燥なし。当然部屋にもUBがついてるけど、2階にでっかいお風呂があって、フロントで鍵をもらって中から施錠できるので襲われる(誰も襲わないとも思われるがw)不安もなし。
 早朝6時に早起きして、気になっていた「教育基本法改悪反対署名」をネットでしてから、朝風呂漫喫しました。綺麗でよいお風呂で朝日が見れた。
 え?朝日! ぎゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 というわけで風呂から飛び出て、速攻で髪乾かしてカメラもって最上階の非常口から外階段にすっとんでったわけです。
 早朝の富士山、早朝の富士市。撮れました。サイコーなヤツが・・・ふふふ^^
 で、夢中になって撮ってたら朝ご飯食いそびれました(笑)。







   

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