講演録

       原 順子


2001年127(土)に、沖縄県名護市 万国津梁館 で開かれた
 てぃんさぐの会(沖縄小児在宅医療基金) 
  主催 : NPO 難病のこども支援全国ネットワーク
で、お話しいただいた際の記録です
      


 喋るのは苦手ですが、岳史のことについてなのでしっかりお話しなければと思っています。去年の7月1日に亡くなってもう1年半近く経ちましたが、夕方一人でいると、ぼんやりと「岳史に会いたい。あの手のかかる大変な時の岳史に会いたい。」と弱気な気持ちになります。そういう母親を残して行くことを一番心配して死んでいったと思うのですがまだまだダメです。
 “岳史が残してくれたもの”を考える時、自分自身の残された人生をいかに意義のある溌剌としたものにしなければならないかということに突き当たります。岳史が残してくれたもの……それは、健康な子を育てていたら直面しなかったであろう多くの医療的な体験をし、それを理解できるようになったことと私が精神的に強くなれたことではないかと思っています。
 いままでに吸引や胃チューブの交換やカニューレの交換など命に関わる医療行為をしてきました。すごいことをよくやってきたと思います。私の後ろに『朋』がいてくれたから出来たことです。病気が進行して経管栄養になり吸引などの医療ケアが必要になって大変になってきたときに『朋』に入り、気管切開の手術をしてもっと大変になってきた時に『朋診療所』ができて、『朋』の職員や看護婦さんや穴倉ドクターに医療的にも精神的にも助けて頂きました。私の肩の荷の半分は、担ってもらったのです。二十歳の時に呼吸困難を起こし入院し、挿管になりました。子供医療の主治医からもう入院管理が必要である、と言われたのですが、主人と私の家で看て『朋』に通わせたいという強い希望で、リスクの高い気管切開手術を選んだのです。そんなに大変だった岳史を、最後まで本当によくみて頂いたと思っています。
 『朋』に行くことは、私と岳史の生きがいでした。家にいるときも入院しているときも「『朋』に行こうね。退院して元気になって行こうね。」が口癖でした。他のメンバーさんも同じだと思いますが、『朋』に行くことが大きな目標だったのです。
 今日、この話しのきっかけを作ってくれたのは、白鳥先生です。先日、陶芸の初釜で、たくさんの作品が焼き上がり、ここのバルコニーで仕上げ作業をしている時に、たまたま白鳥先生にお会いし、先生から「妹さん達、元気にしてる?」と声をかけて頂きました。岳史には二人の妹がいます。15歳で『朋』に入ったとき、上の子が小学3、4年で下の妹が幼稚園でした。11年半経って、今上の子が二十歳で大学生で、下が高校2年生です。去年岳史が亡くなって、今まで二人の妹のことを放っぽり放しで、母が忙しいからと我慢をさせてきたので、今度は二人の妹に目をかけてやらなければと思っていたのですが二人とも大きく成長してしまい、手がかからなくなっていました。逆に母のことを心配して労ってくれます。そんなことを白鳥先生にお話しして、岳史のことを何を話したか良く覚えていないのですが、話し終わって「お母さん、いい話をありがとう。」と言われたことは、しっかりと覚えています。
 病気のことを、簡単に説明させていただきます。ムコ多糖症という進行性の珍しい(数万人に一人出生)病気です。ムコ多糖は、健康な私達の体にもあります。関節や、尿の中に含まれています。健康な人は、ムコ多糖を分解する酵素があり、体外にだしていますが、ムコ多糖症の人は分解する酵素が生まれつき欠損しているため、体のいろいろなところに(骨や筋肉や内臓や脳)蓄積されて、関節のこう縮や脳の萎縮が起こり、その結果、低身長であるとか、特有の体つき顔つきになります。七つの型があり、1型にハーラー、2型にハンター、3型がサンフィリッポ、4型がモルキオ、後は覚えていませんが、岳史はハンター症でした。ハーラーで10歳くらいの寿命で、ハンターだと10〜15歳と言われていました。根本的な治療法はなく、対症療法として、岳史の場合は、扁桃腺アデノイドの手術、経管栄養、気管切開の手術をしてきました。2年前に厚生省の医療研究班ができて、昨年、東京でムコ多糖交流会と研究会があり、私は出席したのですが、いまは治療法があり、ハーラーの骨髄移植やさい帯血幹細胞移植や酵素補充療法があるそうです。しかし、2〜3歳前の早期治療が有望であることなど、発症してからは、まだ難しいようです。
 去年、まだ岳史がいた頃に、この研究会で26歳まで頑張って『朋』に通所している岳史の日常生活を発表して欲しいと頼まれて、引き受けたのですが、その後、8月の研究会の前に岳史が亡くなって、それでも話をして欲しいといわれました。そのときテープ起こしされたものと、その後、「ムコ多糖症理解のために」という小冊子ができて、岳史を育てていく中で学校や病院や地域の中で、どんなふうに病気を理解してもらったか、また理解されなかったか、そして困ったことについて書いて欲しいと言われ書いたものが最近小冊子になり、送られていましたので、少しはまとめて書いてあるつもりなので読ませて頂きます。
 家では、岳史の事については時々話題になるのですが、亡くなった日のことはタブーになっているようで話しません。
先日、妹の上の子が、私と二人だけになった時こんな話をしました。
「お母さん、おじいちゃんやおばあちゃんは苦しそうに亡くなったけれど、岳兄ちゃんは、そんなことはなかったね。」そして続けて、「お兄ちゃんは、家のだれかのために生まれてきたような気がするんだけれど・・・」と言います。私は、ドキッとしました。ダメな母親の為に生まれてきたのではないかと、依然自分自身のことを思ったことがあったからです。「どうゆうこと?」と聞き返したら、「家族のために生まれてきたと思う。」って言うのです。私が「家族のために病気をもって生まれてきたのなら、岳史がかわいそうすぎる。」と言うと、「そういうことではなくて、病気の岳兄ちゃんを他の家ではみられなかったと思う。」「原の家でなければならなかった。」と言ったのです。言いたいことがよく解りました。1972年に生まれて、1998年に亡くなるまで、26年間ちゃんと原の家族だったこと、ちゃんとお兄ちゃんだったこと、家族のなかで大切な息子でした。
 亡くなる日、その日が来ることを私は一番こわく、恐れていました。気が狂ってしまうのではないかと思っていました。でも岳史の死に立ち向かう敬虔な姿を目の前にして、泣き叫んで取り乱すことなどできませんでした。主治医の立花先生に頼んで、ずーっと抱かせてもらいました。お父さんと代わりばんこで抱きました。楽しかったこと、旅行に行った時のこと、たくさんの人にであったこと、朋で体験したことを話しました。小さいときになりたかった高速バスの運転手さんのこと、大好きだったル・マンの耐久レースをテレビで見たこと、それから気切の手術の時、朋の先生が送ってくれたフレー、フレーのテープも聞かせました。亡くなった日、偶然私の手提げ袋に放り込んでいたものです。私の腕のなかで息を引き取るとき、ごめんね、ありがとう、の気持ちでいっぱいでした忍耐だけの一生だったかもしれない、でも父も母も岳史から目を逸らさないで、本気で見守ったつもりです。治療法がなく、進行していく病気を見て行くことは、辛く苦しいことでした。
 最後に、今年の夏に関東以北に住む、ムコ多糖症のミニキャンプがあって呼んで頂きました。8家族24人が集まりました。若いお母さん達と子供達です。16歳の高1の男子のお母さんが、私に「うちの子もう死にそうですか?」と聞いてきました。驚いて「そんなことありません。」と答えたのですが、そばにいた妹さんが「こんなのお兄ちゃんじゃない、早く死んでしまえばいい。」といった言葉はショックでした。別の12歳のハーラーの女の子のお母さんが、病気が進行して発症していく過程で、おもらしをした時に、うんちを顔に突きつけて、叱り、娘さんが謝っているのに足蹴にして転倒してしまい、頭を何針か縫った話をしました。そのお母さんは精神を病んだということで3ヶ月入院されたそうですが、いまでもそのことを悔いて、皆の前で話してくれました。私も似た様な事をしたと言った時に、皆で泣いてしましました。キャンプが終わった後、その中の何人かのお母様が、写真と手紙を送ってくれました。「また会いたい」と言ってくれました。
 帰りの電車の中で、私もこれから先、こういう若いお母さんの力になりたいとずーっと考えていました。
 これで終わりにしますが、私はこれからも『朋』に来たいと思っています。岳史が大好きだった朋を、岳史に代わって見守りたいし、見届けたいのです。『朋』で私を見かけたら私の中にいる岳史の事を想ってください。


「わが子」目次

はじめに ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
灰色の中に光るなにかが・・・‥‥‥‥‥‥ 鎌田絢子
悦子は私 私は悦子 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 芝山政江
教えられたチーム・ワーク作り ‥‥‥‥‥ 安達恵美子
「訪問学級」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
子どもの笑みは愛の色 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 依田千津子
いい思い出を固形スープのように ‥‥‥‥ 駒田和子
「訪問指導」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
もしも、ぼくが話せたら・・・ ‥‥‥‥‥ 歌川敬子
好きも嫌いも体で表現 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 赤坂あき子
元気で ゲンマ! ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 山口芳子
「母親学級」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
母親教室は心の支え ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 鈴木日奈子
動かぬ右手も幸せを ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 永吉チエ
わたしとわが子 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 坂田佳子
「訪問の家」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江


番外編
講演録 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 原 順子

<番外編・原さんの講演録は「わが子」に掲載されていたものではありませんが、ムコ多糖症で亡くなった長男・岳史さんのことを、2001年127(土) に、沖縄県名護市 万国津梁館 で開かれた てぃんさぐの会(沖縄小児在宅医療基金)で原さんがお話しされた講演録です>



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