●昭和57年に発行された「わが子」・「はじめに」 より(部分)

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はじめに

日浦美智江

 予期せぬ過酷な条件をつきつけられて母となったお母さんたち。一般の母たちと違う条件を一生背負わねばならないお母さんたち。10年間、重度・重複障害児学級の母親学級を担当し、母親の相談相手として、共に学び、共に歩いてきた中で、今、私の心の中にあることは、この条件を背負い謙虚に生きるお母さん方への尊敬と友愛の気持である。
 美しい顔がいっぱいある。障害児をもったために、そのことで、生きるということ、生命というものの本当の意味を毎日問いかけられている故に、母親達は魅力的な女性になっていくのであろうか。
 障害児を持たぬ私たちにできることは、障害児が、母親が、そして家族が、普通の生活をしていく上で、障害児である故に、障害児を抱える故に生じる困難の要因を一つでも取り除き、障害児を抱えていても他の人達と共に暮らす上で、ハンディキャップを少しでも感じないですむ環境を整えること、いい変えれば、共に暮らせる条件作りをすることではないだろういか。
 昭和54年、学校教育において、全障害児に学籍が与えられたことは、入学期の4月を涙で送っていた親子にとって、一つのハンディキャップを取り除いたことになる。それが更に、全員、近所の子ども達と同じ入学式に参列できるようになれば、親の中にあるマイノリティに属する悲しみがまた一つ軽くなることだろう。世の中は動いている。そして、母親達も変わってきた。何もかも行政にまかせて行政に陳情することのみ考えていた親たちは、今は、自分たちが頑張ってなおできない部分を補ってくださいという姿勢を見せてきている。
 「障害をもった子どもがいるから何にも出来ない、人生は終わりだ」、ではなく、この子が、いるからこんなに深い人生が送れた、こんな経験が出来たと胸を張る母親の表情は本当に美しい。そして、その横に並ぶ子どもの表情は更に豊かで美しい。
 今年(昭和56年)は、国際障害者年ということで、年頭よりテレビに多くの障害児が写し出されている。その障害児の笑顔の裏には、この子の生活を少しでも実り多いものにと頑張っている母親がいる。そんな母親達の素直なわが子への気持ちを一人でも多くの方に知っていただきたいと思う。
 
 昭和55年度、母親学級の学習として、今一度わが子の存在を考えてみようと、「わが子」という題の文を書くことを一年間の課題にした。そして、通級27人全員(この本を出すに当って今年の新入生2人にも書いて貰ったため、この本には29人の文が収録されている)の原稿を前にした時、これを学級内だけの文集とせず、少し形を整えれば、国際障害者年の母親グループの活動として、社会への働きかけの一つの方法になるのではと考えた。母親のこの言葉は是非学校の先生方に、この言葉はお医者さんに、又ボランティアの方々にも読んで貰いたいと欲が出てきたからである。最初はビクビクしながら作った600部の文集が、私達の予想を超えて、評判がよく1ヶ月後に更に400部追加印刷を行った。今又、立派な本に生まれ変ることとなり、今迄以上に広範囲な方々に読んで戴けるチャンスを与えられて正直なところいささか気後れも感じている。学級内でみんなで読むのだからと気持を正直に書いたお母さん達も同じ思いのようである。そんなお母さん方にみな様の励ましの拍手を戴けたらと思う。

●昭和57年に発行された「わが子」・はじめに より(部分)

このWeb上では、実際には、11名のお母さんの手記を抜粋させていただきました。
編集責任:朋の時間 上映事務局
 


「わが子」目次

はじめに ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
灰色の中に光るなにかが・・・‥‥‥‥‥‥ 鎌田絢子
悦子は私 私は悦子 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 芝山政江
教えられたチーム・ワーク作り ‥‥‥‥‥ 安達恵美子
「訪問学級」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
子どもの笑みは愛の色 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 依田千津子
いい思い出を固形スープのように ‥‥‥‥ 駒田和子
「訪問指導」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
もしも、ぼくが話せたら・・・ ‥‥‥‥‥ 歌川敬子
好きも嫌いも体で表現 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 赤坂あき子
元気で ゲンマ! ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 山口芳子
「母親学級」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
母親教室は心の支え ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 鈴木日奈子
動かぬ右手も幸せを ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 永吉チエ
わたしとわが子 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 坂田佳子
「訪問の家」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江


番外編
講演録 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 原 順子

<番外編・原さんの講演録は「わが子」に掲載されていたものではありませんが、ムコ多糖症で亡くなった長男・岳史さんのことを、2001年127(土) に、沖縄県名護市 万国津梁館 で開かれた てぃんさぐの会(沖縄小児在宅医療基金)で原さんがお話しされた講演録です>