●昭和57年に発行された「わが子」・「訪問指導」のこと より(部分)

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「訪問指導」のこと

日浦美智江

 横浜市における訪問教育は、「在宅心身障害児家庭訪問教育制度」という名称で、昭和44年に発足した。初年度は就学猶予及び免除者591名のうち、102名の希望者を対象に16名のスタッフで週1回、2時間の指導を行ったが、2年後、46年に希望者が120名に増加し、スタッフ(教員、講師、指導員)も22名に増員した。
 そして昭和49年には、横浜市に6枚の中心校を設け対象児をそこに在籍させ、訪問指導学級とし、学校教育の中での位置づけを明確に、50年には中学校にも設置された。講師1名が4人の児童を担当し、週2回の訪問指導を行うようになった。この時、講師も各々の学校に籍を置き、その学校の校長の監督下におかれた。昭和54年、養護学校教育義務制により、子どもも講師も養護学校籍となり、養護学校のもつ4つの分教室に各々属し、中村方面分教室の場合、週2回の訪問指導と、2日の集団指導に参加という形をとった。
 以上横浜市における訪問指導の大まかな経過である。元来、「学校教育」は教師は学校にいて、そこへ子ども達が来て教育を受けるという形をとっている。これを、教師が家庭へ出向いて、家庭の中で2時間、それも障害をもつ子どもへの教育を行うわけである。当初、教師の側にも、受ける家庭の側にも戸惑いがあり、それがトラブルに発展する場合もあったことは容易に察しがつく。子どもが障害をもつと、どうしても、家庭は閉鎖的になりがちである。他の人に悩みは解して貰えない、自分の子どもだから自分の思い通りに育てる、他の人から、それが例え教師であってもとやかくいわれたくないとする人は多い。
 又逆に、やっとこどもについて安心して語れる他人にめぐり会えたことで、様々な悩みを教師に打ち開け、教師は子どもと接するより母親の話を聞くことだけに振り廻される場合もある。教師の方も家の中に入れてもらわなくては子どもの教育が始まらないことから母親の機嫌の良し悪しに神経を使い苛立つこともある。更に今迄自分の思い通りに養育をしてきた母親が、それでは子どものためにならないと教師口調で指導され憤慨し、訪問されることを拒否した例もある。パイオニアとして訪問指導を10年間続けてきた先生方に伺うと、一口では語り尽くせぬ苦労話を聞くことが出来る。相手の城での母親と子どもとの悪戦苦闘も、母親が、教師の意図を汲み取り、協力的になってくれた時の喜び。子どもの指導が一つ一つ実り、母親と手を取り合えた時の感激。そして何よりも自分の訪れる足音を憶えて「こんにちは」と声をかけると全身で笑いかけてくる子どもの顔に出会うと全てを忘れ元気が湧いてくると云う。講師同士が集う場所も時間もなく一匹狼でただひたすら担当の子どもの家を訪問し、ひとりで悩みを解決せざるを得なかった時代の先生方の苦労が鈍なものであったか想像に難くない。現在はかく分教室の中で、お互いの担当児のことを相談したり、時には、2人、3人、とチームを組んで、訪問に出かけられるようになった。
 又、必要に応じて集団の場(在籍学級)へどんどん子ども達を出すことが出来ることもいくらか指導の苦労を軽減してきている。が現在、訪問指導を受けている子どもたちのほとんどは、障害の程度が重く、健康上の心配から通級が不可能な場合よりむしろ、体重が重く、住居がスクールバスのコースより奥に入り、学校へ通う手段が得難いとか、家族が学校へ通う意義を認めず人前に出すことを恥じ、集団指導を拒んでいるという難しいケースが多い。このため、指導講師も子どもへの教育を、親へのケースワークという2つの能力を要求されているのが、現在の訪問指導の実態である。
 どんな親でも子どもの成長を喜ばない親はいない。誠心誠意工夫を重ねながら、子どもにも取り組む教師の姿が親の気持を動かさないはずはない。そして、子ども達も又、思いがけない時に思いがけない形で恩返しをしてくれる。教師の呼びかけに初めて笑ったり、声を出したり、鈴を握ったり、じっと先生の顔を見つめ返してきたり。それはきっと子ども達の精一杯の先生への「ありがとう」ではないだろうか。「どんなに多くのことを子ども達から教えられたことか。そしてどんなに大きな励ましをお母さん方から受けたことか。」という言葉はどの講師の方からも聞かれる言葉である。「何よりも子ども達が好きだから、この仕事が好きだから。」という訪問指導の講師の方々に、今なお多くの学校へ通えない障害児童達は支えられているのである。

●昭和57年に発行された「わが子」・「訪問指導」のこと より(部分)


「わが子」目次

はじめに ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
灰色の中に光るなにかが・・・‥‥‥‥‥‥ 鎌田絢子
悦子は私 私は悦子 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 芝山政江
教えられたチーム・ワーク作り ‥‥‥‥‥ 安達恵美子
「訪問学級」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
子どもの笑みは愛の色 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 依田千津子
いい思い出を固形スープのように ‥‥‥‥ 駒田和子
「訪問指導」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
もしも、ぼくが話せたら・・・ ‥‥‥‥‥ 歌川敬子
好きも嫌いも体で表現 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 赤坂あき子
元気で ゲンマ! ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 山口芳子
「母親学級」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
母親教室は心の支え ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 鈴木日奈子
動かぬ右手も幸せを ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 永吉チエ
わたしとわが子 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 坂田佳子
「訪問の家」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江


番外編
講演録 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 原 順子

<番外編・原さんの講演録は「わが子」に掲載されていたものではありませんが、ムコ多糖症で亡くなった長男・岳史さんのことを、2001年127(土) に、沖縄県名護市 万国津梁館 で開かれた てぃんさぐの会(沖縄小児在宅医療基金)で原さんがお話しされた講演録です>



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