●昭和57年に発行された「わが子」・「訪問学級」のこと より(部分)

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「訪問学級」のこと

日浦美智江

 横浜市立中村小学校、訪問学級。この懐かしい学級が誕生したのは、今から10年前の昭和47年。中村小学校の1特殊学級として、プレハブ教室と中村小学校の木造教室を改造したもの計2教室からのスタートであった。この「訪問学級」は、昭和44年発足した「在宅心身障害児家庭訪問教育制度」を更に発展させ、「1対1のマンツーマンによる個別指導だけでは、子ども達の相互作用が行われず指導効果に限界がある」とし、「一般の健常児同様学校に入学させ学籍を持たせ、障害の重い子ども達の学べる学校教育の場の提供」と実施したものであった。発足時、児童30名、教諭6名、指導員と呼ばれた非常勤講師6名(うちソーシャルワーカー2名)という編成であった。この時の指導体制は、週1回訪問指導、週1回集団指導というもので、週1回の集団指導という試みは、対象が重度重複障害児であることを考えると、当時としては画期的なものであった。
 「学校に入れるなんて夢みたい」「この子にも教育を考えてくださるのですね」プレハブ教室に集まった親の顔は半信半疑の面持ちながらどの顔もうれしそうであった。一方、子ども達も重い障害故に、集団体験など皆無に等しいものであった。教室いっぱいに寝ころんでいる子ども達、ただウロウロと歩き廻る子ども達の前に教師の側も従来の教育という概念をたたき壊すことからスタートしなければならなかった。
 子ども達の健康状態を配慮しておっかなびっくりで始めた週1回の集団指導は、子ども達の思いのほかのたくましさと母親達の意欲、教師の熱意に引きづられ翌年は週2回の集団指導に切り変わり、教師と親が車の両輪となって子ども達の教育に当たっていこうという学級の基本姿勢が出来上がっていった。以来7年、中村小学校、訪問学級は重度・重複障害児教育の実践の場として、「比較的障害程度が重く、又、障害を重複して持っているなどのために、特殊学級や養護学校では、充分に教育を受けることが困難な児童に対して、必要に応じて、家庭に訪問して個別教育を行い、又登校による集団指導を実施し、それぞれの心身の障害の程度、特性に応じて教育し、それぞれの持てる能力を最大限に発揮させ、人間としての価値を付与することを狙うと共に、心身の発達を助長して社会的生活能力を養うことを目的とする。」ことを教育方針に、全員で努力してきた。
 現在、「訪問学級は54年度養護学校義務制に伴い、中村小学校の籍を離れ、横浜市立上菅田養護学校・中村方面分教室となり、教室は同じ中村小学校の一角から、新しい鉄筋校舎となり、児童、生徒総数27名、在宅訪問指導13名、教諭5名、県費訪問指導講師10名、市費指導講師2名で週3回の集団指導と訪問指導を行っている。
 普通小学校の中に教室が置かれて10年。共に運動会、学習発表会に参加する中で今ではすっかり中村小学校の児童の中にとけ込み、普通学級との交流学習も始め、遊び時間に廊下づたいに訪れる中村小学校の子ども達の活気を分教室の子ども達は肌で受けとり喜びを全身で表現している。緊張の強い子どもが、六年生の男の子の腕の中でリラックスしてニコニコしている様子を見ながら、中村小学校の子ども達のとっても分教室の子ども達と遊んだ体験が将来何らかの形で生きることを願うのである。
 現在、横浜市には、54年度を期に、横浜市立本郷養護学校中和田方面分教室、横浜市立日野養護学校大綱方面分教室、横浜市立上菅田養護学校緑方面分教室、同・中村方面分教室と、中村方面分教室同様の分教室が四つ置かれ、各々の地域の子ども達を分担、スクールバスによる送迎を行い週2日から5日の集団指導及び訪問指導を行っている。

●昭和57年に発行された「わが子」・「訪問学級」のこと より(部分)


「わが子」目次

はじめに ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
灰色の中に光るなにかが・・・‥‥‥‥‥‥ 鎌田絢子
悦子は私 私は悦子 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 芝山政江
教えられたチーム・ワーク作り ‥‥‥‥‥ 安達恵美子
「訪問学級」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
子どもの笑みは愛の色 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 依田千津子
いい思い出を固形スープのように ‥‥‥‥ 駒田和子
「訪問指導」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
もしも、ぼくが話せたら・・・ ‥‥‥‥‥ 歌川敬子
好きも嫌いも体で表現 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 赤坂あき子
元気で ゲンマ! ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 山口芳子
「母親学級」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
母親教室は心の支え ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 鈴木日奈子
動かぬ右手も幸せを ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 永吉チエ
わたしとわが子 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 坂田佳子
「訪問の家」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江


番外編
講演録 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 原 順子

<番外編・原さんの講演録は「わが子」に掲載されていたものではありませんが、ムコ多糖症で亡くなった長男・岳史さんのことを、2001年127(土) に、沖縄県名護市 万国津梁館 で開かれた てぃんさぐの会(沖縄小児在宅医療基金)で原さんがお話しされた講演録です>