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もしも、ぼくが話せたら・・・

       歌川敬子

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 雅樹君は、昨年二学期、在宅から通級に変わりました。そして、この四月から毎日通学に本郷養護学校の生徒です。まさに、ホップ・スッテプ・アンド・ジャンプです。
お母さんが運転免許をとられたことで、雅樹君の世界も、どんどん広がっているようです。
 まだ充分学校に慣れていないのに、お母さんにはクラスのリーダーをお願いしたり、大変だったろうと思います。いやな顔も見せないで、こまごました役目を果たしてくださった歌川さん。ありがとう。


 わが家の次男坊の雅樹は、家中で一番元気で、病気知らずの丈夫な子です。朝は、まっ先に目をさまし、食欲も旺盛でもりもり食べてくれます。よほどのことでもないかぎり、大声で泣くこともありません。
 家の中であれば、自分の行きたいところにいざっていき、何かを告げたい時は、そばに来て、手をひっぱったり、目で知らせます。そして、いたずら好きで、部屋にあるものは、カーテン、くず入れ、いす、ドアとなんでも手を出し、すべてが遊びの対象のようです。
とりわけ、音楽が大好きで、レコードを聴いていれば、いつもニコニコごきげんで、一日聞いていても飽きることがありません。
 そんなわが子を見ていると、何を悩むこともなく、好きなことをしていれば、楽しく幸せなのであろうと思うのですが、それは親の身勝手な眺め方で、当の本人にとっては、言いたいことが山ほどあるかもしれません。
 この九年間・・・・。障害児と宣言されて、毎日泣いてすごしたり、さまざまな思いに翻弄されてきましたが、この頃やっとふっ切れた気持ちを持つようになりました。やはり、苦しい日々を通り抜けなければ、現在の、この落ち着いた生活を迎えることはできなかったような気もするのです。
 その雅樹も、この頃は日ごとに体も大きくなり、だんだん親の手にあまるようになってきました。わが子の成長は嬉しいことに違いないのですが、十年、二十年先のことを思いますと、複雑な気持ちです。
 この先も、いろいろな問題にぶつかることでしょうが、家族みんなで協力しあって、この子を守っていきたいと考えています。

●昭和57年に発行された「わが子」より(部分)


「わが子」目次

はじめに ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
灰色の中に光るなにかが・・・‥‥‥‥‥‥ 鎌田絢子
悦子は私 私は悦子 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 芝山政江
教えられたチーム・ワーク作り ‥‥‥‥‥ 安達恵美子
「訪問学級」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
子どもの笑みは愛の色 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 依田千津子
いい思い出を固形スープのように ‥‥‥‥ 駒田和子
「訪問指導」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
もしも、ぼくが話せたら・・・ ‥‥‥‥‥ 歌川敬子
好きも嫌いも体で表現 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 赤坂あき子
元気で ゲンマ! ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 山口芳子
「母親学級」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江
母親教室は心の支え ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 鈴木日奈子
動かぬ右手も幸せを ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 永吉チエ
わたしとわが子 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 坂田佳子
「訪問の家」のこと ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日浦美智江


番外編
講演録 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 原 順子

<番外編・原さんの講演録は「わが子」に掲載されていたものではありませんが、ムコ多糖症で亡くなった長男・岳史さんのことを、2001年127(土) に、沖縄県名護市 万国津梁館 で開かれた てぃんさぐの会(沖縄小児在宅医療基金)で原さんがお話しされた講演録です>



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